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移住してから始まった青春 〜ギルドハウス十日町に出会って〜

ある日の、おだやかな昼下がり。

とある古民家で時間がゆったりと流れていました。

 

「もんち〜!」

 

その声の先には、手をひらひらと招きながら

子供のような瞳でわたしに話しかける

ギルドハウス十日町のマスター、ハルさんでした。

 

そう。

わたしは「もんち」と呼ばれています。

 

「アドベントカレンダー書いてよ!」

 

その元気な声が、薄明かりが射す古民家にしっとりと響きます。

 

 

 

「ア、アドベンチャーカレンダー??」

そう、聞き返した気がします。

 

それは何やらギルドハウス十日町のことについてブログに書けば

どんなものでもいいという。

 

「いいですよ〜。」

そう、言った。

つい、返事してしまった。

 

…というのは冗談で。

 

せっかくの機会なので、

ギルドハウス十日町のちょっとした思い出を書いていけたら。

 

ほんとうは書きたいことは山ほどあるけれど、

時間に追われてしまったので、

まずは、今感じてる「しあわせ」をギュぎゅっと。

 

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年上には必ず「敬語」をという「常識」を捨ててみて

 

一昔前は自分が嫌いと言いながら、

とても愛されたがりやだった。

 

そんな愛されたがりやは

10代のとき自分で自分を苦しめ、

学校にいくのが嫌いになって。

 

公立高校を1年で辞めて、

高卒の資格だけとって、「遊び」を忘れてしまいました。

「学業」とか「青春」とかと一歩構えて。

 

同級生とあまり交わらなくなり、

大人と交わるようになって。

 

 

「年上には必ず敬語を」

 

それが、自分の常識で、

自分の常識だけが自分の世界で。

 

そんな狭くて暗い道を、ちょっとだけ見える明かりを頼りに、

4年ほど会社員として社会の歯車になりました。

 

そして、十日町への移住。

とあるイベントで知り合った人がギルドハウスの住人でした。

 

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その住人とは大塚まこと君という同い年で、

まこちゃんと呼ばれていて

仕事の方向性が似ていたので、

「ちょっと打ち合わせしよう」ということで、

訪ねたのが「ギルドハウス十日町」。

 

「常識がない興味深い家だな」と思った記憶があります。

その興味からは、自分の「常識」が、少しずつ柔らかくなる音もしました。

 

そんな音を頼りに、住人のみんなとちょこちょこ話すようになったんです。

「自分が今まで関わったことのない人と関わってみよう」って。

 

それに加え、人見知りでコミュ障なわたしは、

心の防具をたくさん準備して、

ギルドハウス十日町に遊びに行っていました。

 

「人見知り」を理由に変化とか成長とかを

諦めたくなかったからでもあるかもしれません。

 

 

 

そして、夏ころからでしょうか。

 

自分を変化させる手段は

自分の常識の「正しい」という

主張を変えることだと思い、

「敬語」を極力やめたんですね。

(仕事相手は別ですよ)

 

なぜなら、「年の差は地球の誤差」などと住人が口々にいうから。笑

 

 

 

この歳にして、青春が始まった。

 

わたし、9月で25歳になりました。

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でも、最近思うんです。

「今が一番青春だな」って。

 

「敬語」をやめてから、

住人に対して「友達」というより、

「仲間」という感覚に変わりました。

 

 

住人のゆうたろうが主催した、

音楽フェスの準備やら何やらを一緒にして、

「なんだろうこれ、文化祭みたいだ」

って思ったんですね。

 

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お金をもらわなくても楽しいから手伝ってしまう。

つかれているのに、朝起きるとワクワク感が出てくる。

 

こういう感覚って、社会人になってから、

久々に湧き上がった気がします。

 

この後から、ゆうたろうやまこちゃんと

「やっと仲良くなれたなあ」

なんて思った気がします。

 

 

 

仕事が楽しいのは、「遊び」ができるから

 

「友達」って言葉が少し苦手です。

でも「仲間」っていう単語は、ワクワクします。

 

「友達」が100人いたって、

1000人いたって、

有名人と繋がっていたって、

そんなことどうでもよくって。

 

けれど「何かを一緒にやれる」という「仲間」と繋がってるのが、

人生を楽しくしていってます。

「仲間」という言葉もだいぶ、

いや相当照れくさい気もしますけど。笑

 

麻雀という遊びを覚えてしまったり、

テレビゲームで激戦したり、

大富豪で負けて寒い中、川で相撲したり。

「仲間」というか「遊び相手」に近いかもしれない。

 

都会に住んでたときと違うのは

山で遊んだり、学校で遊んだり、

「飲み会」とか全くしなくても

ご飯食べながら笑いあってる。

(お酒はみんな飲めますよ)

 

「ゆるふわ」なのに、「人がつどう」

 

ここでハルさんがやっと登場しますけれど、

ハルさんが放つ二酸化炭素や酸素からそういった空間をつくり、

「仲間」が集うような「場作り」を「ゆるふわ」でやってのけます。

その「ゆるふわ」は俗にいう、女子のアレじゃなくて。

とにかく「ゆるふわ」なのに、ハルさんにしかできないんですよね。

 

女将のマチコサンは、ハルさんの良きパートーナー。

マチコサンの出す、二酸化炭素や酸素は、

ギルドハウス十日町に絶対に欠かせない人。

 

ふたりの特徴はなんたって「自然体」でいつもいることなのです。

 

「こうしなさい」「ああしなさい」

そういうルールがありません。

 

人の能動性を信頼しています。

 

「人をコントロールする必要がない」という

「その人に委ねる」という姿勢が、

「こうあるべきと」いう自分の主張の裏を孕まないことで、

自分が自分で在ることのできる

最大の手段なのではないかと

ふたりを見てて思います。

 

いつも自由に見守ってくれていてありがとうございます。

父のような、母のような、存在。

 

いつも「ただいま」を言わせてくれてありがとうございます。

「おかえり」をくれてありがとうございます。

 

シェアハウスはご縁と出会いの場ってほんとう?

 

最後に。

「出会いはあるの?」なんて疑問に思ってる方。

 

はい。あります。

 

そう、これは、都会でもよく聞きますけれど。

「ギルドハウス十日町」では、「出会い」がより顕著に映る代名詞かもしれません。

 

それが、

「恋人」である人もいるし、

「仲間」である人もいます。

 

 

わたしは、縁あって今おつきあいをしている方はギルドハウスで出会いました。

そのことについては、またいずれ。笑

 

それでは、みなさん、ギルドハウスにいってみてくださいね。

 

 

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「恋愛」「結婚」を”ふつう”なことだと語らわないことが”ふつう”になってから、「固定コミュニティー」が苦手になった話。

わたしはどこかに遊びにいったり、旅行にいくと大抵、怖くなる。

それは、高校生から今に至るまでずっと。

 

 

「逃避としての旅行なのか?」

「日常を惰性として感じたくないからなのか?」

 

なんて、小難しいことをいつも考えてしまうから。

基本的にはインドアが好きだから、アウトドアな人たちを見ると一歩構えたりする。

 

観光スポット、おいしい食べ物やさんが立ち並ぶスポットにいくことが、

「若者としての遊び」という、概念が自分の中に存在していて。

 

わたしはその「若者としての遊び」が苦手だった。

それは「固定のコミュニティー」が怖かったからなんだと思った。

 

「上司に守られる」ということ

 

仕事が終わってからも(いわゆる定時というやつ)

仕事のこと、暮らしのこと、これからの自分の生き方、

何を伝えるか、何を活かすか、どうしたら良いのか。

四六時中考えて、仕事の締め切りをオーバーして、怒られる。

わたしは自分で自分のキャパをまだ分かっていないのでそんなことがよくある。

 

ちょっと時間を作れば、

締め切りをオーバーすることはないはずなのに。

 

仕事の締め切りをオーバーするということは、

「求められているいるけど、自分の中で優先順位が低いもの」

として、勝手にカテゴライズしてしまっているから。

 

わたしに実害はないけれど、協力隊に「上司」は存在し、

その方々が何かしら頭を下げていることになる。

(いつもご迷惑をおかけしております)

 

「上司」に守られていると、「時間概念」「お金の循環」などの意識が薄れていく。

以前勤めていた会社ではそれらに対する「危機感」がいつもあった。

 

「守られる」というのは、あたたかい言葉なのかもしれないけれど、

「自分のケツは自分で拭け」なんて言葉がある通り、

「自分で考えて自分で動く」というプロセスを、省いてしまう。

 

おせっかい上司と、放置型上司、どちらが「良い」?

 

「上司」という立場は、部下に「依存」させると、

「能動クラッシャー」になりうる。

 

たくさん失敗させて、たくさん「どうすればいいのか?」を与える。

「こうしたらいいよ」と、細かくアドバイスされることが

「良い」と思われがちだけれど、

細部にわたってアドバイスするということは、

「上司」自身の保身のためか、

「部下」に失敗させないためものなのか。

 

いずれにしても「こうしたらいいのかも?」という

「自分の考え」がちょんぎられていることに気づかないのは、

果たして本当に「良い」と呼べるのか。

 

幸いにも、以前勤めていた会社の上司は、

わたしにたくさんの失敗をプレゼントしてくださった。

 

「なんで、この案件を振るくせに、”どうすればいいのか”を教えてくれないの?」

と、いつも思っていた。22歳くらいのとき。

 

20歳のときに「金融」という未知の分野に小娘(わたし)が入り、

「会社」というジャングルに放たれて、試行錯誤する日々だった。

わたしが自発的に仕事をするようになってから、

「知識」を補うより、

「仕事のやり方」を意識するようになった。

 

「やり方」だけは、誰も教えてくれない。

 

 

「知識」は勉強すれば学べるものだけれど、

「やり方」だけは、「経験」からしか学べない。

 

わたしの前上司は、「能動促進」の番長だったのではないかとも思う。

ただし、その分、「能動的ではない部下」かからは煙たがられていたけれど。

 

「上司は嫌われてナンボ」なんて偉そうに語る人もいたけれど、

「本当の意味で”成長”を促しているからこそ嫌われる」と説明できる大人は、

一体どれほどだったのだろうか。

 

今、あらゆるモノごとに、「本質は一体なんだろう?」と問いかけられる成長をくれたのは、

前職にすばらしい上司に巡り会えたから。

 

話が脱線してしまったけれど、

そんな「本質を探る」ということを意識するたびに、

「消費」して終わるという日常がとても怖くなっていった。

 

彼氏や、旦那が大切なのは良いことだけれど・・・

 

この歳になると、「恋愛」や「結婚」の話が飛び交ってくる。

それはそれでもちろん良い。

 

「恋愛」について語らうと、

「彼氏」の愚痴や、「結婚」はいつになるのかとか、

誰々が別れたとか、誰々が同級生同士で付き合うとか

そんな話もまあまあ面白いけれど、

「もっと他に話したいことはないのかな?」とか思ったりする。

 

その人の「わたしはこうしたい」という話が聞きたい。

もちろんたまには、愚痴ったりしたっていい。

 

「結婚」だってそう。

「旦那」の愚痴や、「子供」ができないとか、

誰々ちゃんの噂話とか、他人の話ばかりに偏ってしまう。

 

それは、「固定コミュニティー」に浸かっていると、

”ふつう”の立ち位置に自分が属してる安心感があるからなんだと思う。

 

わたしはむしろ「固定コミュニティー」の方が苦手だ。

なぜなら、人は変化していくものだから。

 

”ふつう”なんて変化して当たり前で、

「ずっと仲良し」なんて言っている方が違和感がある。

 

今でこそ、そんなことを言えるようになったけれど

違和感に従って、関東の「固定コミュニティー」からはずれた当時、

疎外感がなかったとは言い切れない。

 

少しばかりさみしさはあったけれど、

「違和感のあるコミュニティー」から脱出すると、

「求めているコミュニティー」と勝手にマッチングする。

 

そして、「コミニティー」とは

自立した人の集まりに「名前」がついた仮称であってほしい。

 

言うなればいつ解散してもよいし、

集まらなくてもよいという程よい「集い」が、

人の「選択」を促すものとなるのではないかと思っている。

 

その集団がいないと、自分の足で立てないほど入り浸っていたら、

宗教に近くなってしまう。

 

なんてことを考えているわたしは、ふらふらした旅人の方が合っているのかもしれないな。

けれど旅行が苦手なのは、「日常」を「否定」している気がするからなのかもしれないな。

 

そんな感じのお年頃です。

これからブログをもっと書けるように、さらっと書きたい今日この頃です。

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わたしの移住のテーマは「自分の生き方を創る」〜メディア出演して、感じたこと〜

十日町の街中の飲食店さんへ山菜の出荷とともに、ご挨拶へ伺う。

「あ!あなた、テレビに映ってたでしょ!」

 

「・・・え?・・・わたしが!?」

 

ハッ。

そうだ、わたし、昨日テレビに出てたんだっけ。取材された日々が頭の中で回想される。

十日町の方だけでなく、新潟県全体でわたしが十日町に移住するまでを、テレビで見てくれているというのだ。あの四角い液晶に自分が動いめいているかと思うと、顔から火が出るほど恥ずかしい。

わたしは去年の年末からかなりの頻度で、密着取材をされてはおりましたが、カメラに映るのがとっても、とっても苦手なんです。

インタビューも、どもってたことと思います。笑

写真を撮られるのも、とっても苦手です。(最近は、腕のいいカメラマンたちに助けられているために、やっと写真に写れるように。)

 

女の子たちがよくやるアレが未だに苦手です。アレですよ、アレ。

「写真撮ろー!!」

スマートフォンのインカメラを、おもむろに手慣れた手つきで構図をとる、女の子たちのアレ。

(笑顔って、頬っぺたをこう、引き上げるんだよな・・・。わたし八重歯、イカツイからあんまり笑わないでおこう。そして、隅っこでなるべく映らないように・・・。)

 

そうです。

今時、女子、ちゃいますねん。思いっきり、根暗女子ですねん。

 

透明のレンズが「こっち見て!」って呼ぶんだけど、自分のありのままの姿が映ると思うと、怖くて怖くて逃げたくなる。

 

それなのに、なぜ取材を受け続けたのか。

それにはわたしなりの「伝える」の入り口を、手繰り寄せている途中だったから。

何にもすごいことをなし得てない、自信のないひ弱なわたしだからこそ、飾らずに伝えるべきだと思ったから。

取材もひと段落したので、軟弱だった移住前と今を、振り返ってみることにしました。

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新潟移住前に「二つだけ」武器を持つことができた。

 

テレビの放送が終わった後は、わたしの特集を担当してくださってる記者さんからDVDがいただけます。

ありがたいことです。

そこに至るまでには、”本間 小百合”という人物を「伝える」という、記者さんの仕事があって。

いつも担当してくれるカメラマンさんもとても面白くて、現場を和ませてくれて、撮影の合間に雪を丸めて投げたことも新潟移住前の楽しい思い出になっています。笑

お二人の仕事は、時間が不規則で相当大変だと思います。

 

記者さんはわたしの活動や予定に合わせて、千葉に取材に来てくださったことは一度や二度ではなかったので、「はるばる、なぜわたしを・・・」と思ってもいました。

「移住する人なんて、日本中にたくさんいるし、新潟にもすでにたくさんいらっしゃるはず・・・」

と、思ってもいました。

それでもたった一言記者さんが「ほんまさんのブログ、すごくいいと思います。”等身大”っていうタイトルも」と言ってくださって、

「あぁ、こんなひ弱で、肩書きすら何にもないわたし”だからこそ”伝えられることがあるんだ」って思って。

初めてその時、「言葉」と「感性」を武器にできるんだと、気づきました。

自分の繊細に折れそうになる心に直面する度に、「強くなれ」と「強くあれ」と鞭を奮っては、言葉とは裏腹に、対に向かう繊細な感性を「弱くて、だめなやつだ」と、コンプレックスとして感じてきたんです。

 

それをブログやSNSで”アウトプット”することを始めたら、コンプレックスであった感性や気持ちを、様々な人から「考えるきっかになった」「勇気が出た」などと、メッセージなどをいただけるようになったのです。

 

 

計4回のテレビ放送をひとつも見れない自信のなさと、情けなさを感じても、伝え続けたい。

 

そんな、大事な武器に気づかせてくれたにも関わらず、未だにわたしは4回も放送していただいた、DVDの内容を一度も見れずにいます。

自分自身に、まだまだ全然自信がないから。

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インタビューも、うまく言葉にできなくて、すごく悔しい想いをして、毎回取材に望む。

いいこと伝えようなんて思ってない。

けれども、頭に浮かんだ単語は、頭の中にパチンコ玉のように弾かれて、単語の端々を掴めそうで掴めないもどかしさが、自分の中での悔しさと罪悪感にも似た気持ちと摩擦させる。

顔は笑ってるのに、心の裏側ではちぐはぐが多くて、自分に嘘ついたんじゃないかって、帰って一人になると喉の奥がえぐられて涙が出そうになることもしばしば。

新潟に移住されてる、パワフルで素敵な方達を見ると、自分のちっぽけさが丸裸になる気持ちも出てきて、「わたしに一体何ができるんだ」と、「出ました!卑屈さん!」と思いながら、体育座りして、ぼーっとしてたい時なんてしょっちゅうあります。

それでも、特集を組んでくださるテレビ新潟の記者さんが、熱を持って、取材してくださる。

それを見た視聴者の方が応援してくださる。

ブログやSNSを見て、いろいろな感想をいただける。

わたしには「発信」をしながら、「伝える」ことができるんじゃないかって、少しずつエネルギーの芽が育って行く。

”地域おこし協力隊”としても、”本間 小百合”としても、わたしは「伝える」を仕事にしたいな、と、もやもやしていた「働き方」が掴めそうになっている。

自分の生きてもがいた日々が、言葉になることで、誰かに届けられること、誰かの心を揺さぶれること。

これはわたしにできることのひとつなんじゃないかって「移住」をしたこと、一歩踏み出して「発信」をしたことによって気づいたのです。

 

”地域おこし協力隊”としてのわたしと、”本間小百合”としてのわたしのバランスの取り方

 

”地域おこし協力隊”は公務員。

公務員としてのわたしと”本間 小百合”としてのわたしとのバランスは、未だに課題でもあります。

テレビ取材もその兼ね合いで、難しい面があり、悩んだりもしました。

実際に”地域おこし協力隊”は楽しいことばかりではないです。

村の方や地域の特性など、ひとつひとつ知ることから始めなければならないため、”本間 小百合”としての時間の捻出が課題にもなって、睡眠不足の毎日です。

その中でも最近は大事なことを掲げました。

「やれること」をしながら、「やりたいこと」をやる。

この徐々に移るシフトチェンジが人生を豊かにするということ。

「やりたいことがない」という人は、「やれること」を飛び越えてる人が多い。

「やれること」で自分を育てて、足腰鍛えたら「やりたいこと」に挑戦してみる。

自分の力の育て方を、霧のような「やりたいこと」に費やしてはもったいない。

”ある”もの探しは、今目の前から始めること。

 

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”「想ってること」はアウトプットしなければ「死んでるのと一緒」”が腑に落ちた瞬間の変化

 

楽しかったこと、

しあわせだったこと、

悔しかったこと、

泣きたかったこと。

 

これらが全て”感じる”ことであり、”生きる”こと。

”生きる”を肯定するには、どんな感情であろうと、まるごと全部自分なんだと、受け入れること。

わたしは、こっぱずかしい青臭い部分ですら、文章として書き残している。

誰かに届けられることを信じながら。

自分一人の自己満足のためのブログから、誰かに「届ける」ことを目的とした、「発信媒体」にしようと、試行錯誤して「伝える手段」をもっとかき集めたいとも思っている。

テレビ取材のおかげで、様々な方とご縁を繋いでいただき、住む土地を変えるだけで、自分の内側のあらゆる感情に気づくきっかけをもらい、結果として「変化」という大きな成長をいただけた。

わたしの移住のテーマは「自分の生き方を創る」です。

「生き方」を創るには、青臭い部分と向き合いながら、わたしの言葉を読んでくれる人の「違和感」と「疑問」を解いていくお手伝いをしたい。

そのためにはわたしが、”等身大”であることを優先することにして、人してのやわらかさを育てていきたい。

 

 

そんなこんなで、この場を借りて、いつも応援してくださる皆さま、お礼をさせていただきます。

本当にありがとうございます。

メッセージひとつひとつ読ませていただいております。

 

これからも新潟県と十日町市と飛渡地区と各集落の良さを伝えていき、「生き方」をテーマに「発信」を続けてまいります。

 

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「わたし」が地域の人からありがとうを貰うのではなく、「地域の人が」ありがとうを貰う、土地作りをしていきたい。

 

”十日町地域おこし協力隊”

“飛渡地区”

 

この言葉を知っている、日本人は一体どれくらいだろう。

 

わたしが十日町市の地域おこし協力隊として活動する「地区」が”飛渡地区”となります。

十日町市の地域おこし協力隊の面接を受けた当時、12地区の募集があり、区によって資源、人、環境、それぞれが異なっています。
東京都23区に個性という色があるように、十日町市にも地域、地区に個性という色があります。
そんな地域の色と、協力隊応募者のマッ チングをするのが、地域おこし協力隊の面接の場でした。

 

いうなれば、”土地との合コン”

面接というよりは、そんな表現が一番しっくりくる。

そんな”土地との合コン”あなどるなかれ。

十日町の地域おこし協力隊というのは、土地を愛する人たちが、懸命に取り組んだユーモアと愛が溢れる制度だ。

 

「地方」に住みながら、自分の「生き方」を見つける手段が、「地域おこし協力隊」

 

地域おこし協力隊の面接の日。
2月の中旬。

 

面接として案内された場所は、広い会議室で、地域の人たちのワクワクに満ちたエネルギーが溢れた会場だった。

 

面接というものは、「圧迫、緊張」という単語をイメージしがちだけれど、「歓迎」という文字が隠せずにはいられない、常識を覆す場だった。

会場には協力隊応募者がわたし含め10名おり、「わたしはこんな人」という3分程のスピーチがあった。

10名それぞれが、この土地に引き寄せられた経緯を話しだす。

 

家族を連れて来るという方。

地元である十日町を離れたことでこの土地の良さに気付いたという方。

農業をやってみたいという方。

「じっくりインタビューしたい!」と思うくらい、興味深い人ばかりだった。

 

こんなにも土地を愛す人がいるということ。

”十日町”という土地は、すごいんだなと、この時感じた。

 

わたしの自己紹介はというと、応募者の中ではとても異色で、十日町には縁もゆかりもなく。

十日町に住んでいる「佐藤可奈子さん」の生き方に感銘を受けたこと、

テレビ取材を受けたことで、「生き方」を見つめ直し、「移住」という手段を見つけたこと。

アートにつながる仕事を創りたかったから、十日町がたまたま「アートの土地」であったこと。

などを、懸命に伝えた。

 

こんなに自分を飾らずにアピールした面接は初めてだったと思う。

それは、「地方に住みながら自分の生き方を見つける」ということを「決めて」いたから。

「決める」ことで、頭の中の会議(いわゆる雑念)が静まり、目の前の「今」に全力で望めた。

 

今まで散々迷って目の前の出来事をこぼしてしまうことが多かったのは、「決める」ということを避けてきたのだと、「移住」を決めたことで、視界がクリアになったことを感じることができた。

 

ダンディーなおじさまのプレゼンテーションに心が躍った

 

応募者のアピールが終わった後、12地区それぞれの「やってほしいこと、求める人材、地域資源」のプレゼンテーションが始まった。

ここでワクワクが止まらなかった、とあるプレゼンテーションに釘付けになった。

 

「えー、飛渡(トビタリ)地区では・・・」

 

低く、落ち着いたトーンの、心地よい声。
「サ、サンプラザ中野似の素敵なダンディーがおる!!!」と思った。(笑)

それが、今わたしの受け入れ地区の世話役人の、久夫さんとの出会いだった。
直観で、この地区は「人が素敵そうだな」とセンサーが反応した。

けれども、プレゼンテーションだけでは、自分と相性の良い土地がわからなかったため、別会場にて行われる懇親会で、掘り下げることにした。

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「自ら選び、自ら人生をデザインする」ことが都会で欠いてしまうのは、「選ばれる側」に偏ってしまうから。

 

懇親会では、地区ごとの代表の方や、地域おこし協力隊の現役隊員を交えてお酒を酌み交わす。
やっぱり土地との合コンだなあ、なんて思った(笑)

一定の時間が経ったら別テーブルにローテーションし、地区の人たちと、プレゼンテーションの場では伝えきれなかったことを語らい合い、繰り返し全テーブル回ることで、マッチング相手の最終候補を決めるという。

この時既に、飛渡地区か、中里地区にしようと決めていたので、「選ばせて頂く材料」を探させていただいた。

面接では応募者も「仕事相手に選ぶ 」という目線があることを忘れてはならない。

どちらが上で、どちらが下というものではなく、
受け入れる側は、環境、人、賃金を提供し、
地域に入る側は、行動力、実行力、アイディア、労働力の交換をすることが「仕事」。

都会で仕事を「選ぶ」と、人口密度が高いために、「選ばれる」側に回ってしまうことがあまりに多く、「自己決定」が薄らいでしまうのは、「環境」からも起因するのだな、と思った。

だからといって、”都会が悪い”ではなく。あくまでも自分次第。
応募者が、「企業を自分も面接をする」という感覚に鈍感になってしまうのは、「採用して”もらう”」が強いイメージが蔓延ってしまい、企業とのパワーバランスを作り上げてしまった” 自らのイメージ”にある。

今後は、十日町の地域おこし協力隊のような面接のしくみを、企業採用に取り入れたら、相性の良い仕事と人とのつながりが生まれるのではないかな、とも思う。

面接と懇親会のセットで、お互いのミスマッチを防ぐことは大事なんじゃないかって。

スーツ着て、履歴書持って、「採用されるノウハウ」をじっくり読み込んで、「就職活動」するという時代は、とっくに遅れているのかもしれない。

 

移住地選択の判断材料を、「人」にしようと思った。

 

飛渡地区か、中里地区か。

とっても、迷った。

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中里地区の様子

 

中里地区は、川がとてもきれいで、環境も、求められる仕事の内容も、全部が魅力的で、環境や仕事内容で選んだら、「絶対に中里地区」だと思った。
中里の担当の方たちも、穏やか で優しい人ばかりだった。

けれど、飛渡地区がどうしても頭から離れなかったのは、サンプラザ中野似である、久夫さんの人柄に魅力を感じていたからだと思う。

50代以上の方は、生きてきた年数が長い分「自分」が定まり「成熟」した人が多く、良い面では「頼れる」、悪い面では「頑固」という、両面がついてくる。

けれでも、久夫さんの魅力は「やわらかい」だった。

物腰がやわらかくて、目線がフラットで、押し付けがましくない。

よく「定住してね」と言われるけれども、久夫さんは”自由”をとても肯定してくれた。
懇親会の場では、既に定住してる中島さん、多田さん、地域おこし協力隊現役の、ちえみさん、横澤さんが20~30代の枠としていらっしゃってて。

「この雰囲気なら長くやっていけそうだな」と思った。

また、仕事や環境は「自分で創る」ことを目的に来ているのだから、既存にある仕事より、「自分で創る仕事」が楽しみなんじゃないかとも思ったから。

 

ここで、全ての判断材料が揃って、「飛渡地区」を選んだのでした。

 

「自立」と「共存」と手を取り合って、「依存」から線引きができるお手伝いを 

 

既に、「地域おこし協力隊」として任用されてから、2週間ほど経ち、地域の課題や、自分が取り組むべきことも見えてきました。

「こんな何もないところによくきたね・・・」

度々聞く言葉。

 

あぁ、少し寂しい。

地域の方たちがおっしゃる「ある」は一体なんだろうか。

 

目立った観光スポットがあるわけではない。

有名な方がいるわけではない。

今年の飛渡第一小学校の入学式は1人。

 

それでも、自然と生きるこの土地は素晴らしい土地だ。

 

かえるの声、穏やかに土地を見守る田んぼ、溶けきれない雪、桃色を風に飛ばす桜。

夏にはブナが空を目指してまっすぐに伸びながら緑色を彩り、畑の土は作物への母となる。

雲のない一面の闇夜には、人工物だったプラネタリウムが本物となり、人間の心を震わせる。

 

こんなにも「ある」のに、「ない」こと探しの達人になっていくのは、都会でも田舎でも変わらないのだ。

わたしは「ある」こと探しの達人になり、この目で見つけた「ある」を輝かせるサポートをしなければ、と思った。

 

けれどもわたし”だけ”が「ある」もの探しをしても、地域の活性化には取るに足らないもの。

それは、「地域おこし協力隊に、頼ればいい」という考えが根付き、地域の人たちが「自分で考えて、自分で動く」を手放してしまうことになるから。

地域をひらき、地域を創るには、「人」が「個」をもって、「共存」する形でなければ、小さい集落はどんどん消滅していくことと思う。

 

わたしたち地域おこし協力隊の仕事は、

農家の方のお手伝い、おじいちゃんおばあちゃんの手の届かない仕事をして、「ありがとう」をもらうのではなく、

村の方一人一人が、「生きる」を心の底から楽しみ、「自分」を保ち、「助け合う文化のすばらしさ」を継続し、「この土地はにたくさん”ある”んだ」と感じてもらい、人と土地に誇りをもってもらうサポートをすること。

この土地の魅力をブランディングするには、「今」「この土地に住んでいる人」が、「たくさんの”ある”に気づき、しあわせなひと時をたくさん感じること」の土台がなければ、成り立たないのだ。

その結果が、生き生きした人たちに魅力を感じる人、この土地のすばらしさに気づく人が、豊かさを運んで来てくれると思う。

その仕掛け人になるために、わたしはこの土地で、自分という資源を燃やし、「地域の人たち」がありがとう、と言われるしくみ作りをしていきたいと思う。

 

 

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2つの「死」から貰った、あたたかい贈り物。

Nakamura Emiさんの「使命」という曲の3:41が、
10回、20回…と、リフレインする。

あぁ、最近テレビもニュースも全然見ていない。
情報を遮断しないと頭がパンクしそうになる。
脳みそが自分のことだけで手一杯。

テレビの喧騒が、頭を麻痺させるのが嫌だ。
テレビの喧騒で、現実を忘れるのも嫌だ。

乙武さんの不倫騒動も、最近知った。
誰に向けて謝罪するんだろう?
当事者同士でやってくれたらいいはずなのに、ニュースになるのだなぁ。
日本は、そこそこ平和なんだろう。

そんなことをボーッと考えていると、
3:41の「使命」という曲の終盤が再びやってくる。

 

鹿や猿や熊もうろつく小麦色のこの町から
わたしが何を叫ぼうと世界が振り返る訳ないだろう
鹿や猿や熊もうろつく小麦色のこの町から
30代小娘の言葉で振り返る世界なんか駄目だろう

分かっていても心の中
消えないペンで手の甲に書き残す
お前は書けという人がいる
お前は歌えという人がいる

1人怖いのに?
男の人に甘え
家族を作り
ママになり
幸せになりたいのに?
今日も手の甲は何か書いてある

さぁ 歌えよ 沢山の人に出会ったわたしよ
さぁ 歌えよ 死んでいったあの人から貰ったものよ
さぁ 歌えよ その時代の人間が残した美しい心


(Nakamura Emi “song by  使命” )
何回でも泣いてしまう。この曲は。

泥臭いけど、あがいて、強さすらすがることが正解なのか問う、一曲。

自分の才能を信じ切っていいのか、この道でいいのか、葛藤の中で自分の持てる力を今に向ける。

自己投影って、誰かに言うのは恥ずかしいけれど、こんなに心が震えるほど投影する曲は久しぶり。

 

「答えをください」と言っているのに、質問すらしない。

 

答えなんか誰も持っていないのに、
「あなたは答えを持ってますか?」っていうフリップを掲げて
誰かに聞き回りたくなる時がある。

自分が持った能力を信じきりたい気持ちと、
信じきれない葛藤の中、
それでも心から湧いてくるものを、自分の外側に出して。

そんな自分を自分以外の誰かに受け入れてもらうことへの罪にも似たような気持ち。
自分を100%肯定できないのに、「誰かに受け容れてもらう」という事象に、すがりたくなる。

俗に言う承認欲求は、頭の片隅から追いやることはできない。

 

自分に対する答えを用意していないと、わたしはわたしを保てない。
誰かに矢印を、赴くままに放り投げていたら、わたしというアイデンティティーは崩れさってしまう。

自分なりの「生きるとは?」に、それなりの回答は自分で持っている必要があると思った。

 

使命について向き合うことは、恥ずかしいことじゃない

 

わたしはよく、自分の使命ってなんだろう?って考えます。

使命について考えるようになったのは、「死」に2つ触れたことから始まりました。

1つは、その死とともに、わたしが生かされた、19歳のとき。
わたしは死んでもおかしくなかったのに、その死のおかげで今、生きることができている。
この詳細はいずれ書く事として。

もう1つは、「またね」って言ったのに、命を自ら絶った、20歳の仲の良かった女の子。

彼女は境界性人格障害と、躁鬱病を抱えていた。

病気の相談もよく受けていたし、自殺未遂をした後に、わたしに連絡をよくくれた。

「死ねなかった」って。

彼女のその行動をわたしはずっと無理に止めずに見守ってきた。

病気に対して、勉強したりもした。

彼女のお父さんからも相談を受けて、「どうしたらよいか」と話し合ったこともある。

けれども、彼女はついに「死ねてしまった」。

翌週に会う予定だったのに。

20歳そこらで、どうしてこんなに死と向き合わなければならないんだろうって当時は思った。
まわりを見渡せば、遊びに夢中になっている学生たち。

「お葬式?散骨?告別式?そんなこといいから、飲んで忘れちまおうぜ」

いけるものなら、そっちの世界に、行きたかった。
飲んで、忘れて、記憶を失うまで飲んでいたかった。

「ここに2つの命はない」という事実だけが残って。
それでも「今ここにあるものがすべて」という事実があって。

この世界は、事実だけが残されて、心がついていけなくなる時もある。

 

生まれた意味をつけてあげられるのは、わたしが生きること。

 

2つの死に向き合えるような器ではなかった当時、
「今」という時間が苦しかったから、
常に「未来」へバトンを渡すことを望んでいた。

いつまでもその時は、やってこなかったけれど。

2人が生まれた意味を、わたしがみつけたいと本気で思えたのは、
移住を決めて「覚悟」という言葉の意味が少しずつ腑に落ちだしたからなのかもしれない。

彼らの死んだ意味を探すんじゃなくて、彼らが生まれた意味が
わたしが生きることにイコールするのではないかなぁ、と思ったから。

わたしたちはこの地球で、思考を持つことを与えられて、
「今」を積み重ねることだけは平等に与えられる。

前々から思ってきたけれど、必ず死んでいくのに、「自分という素材を抑えて生きる人」があまりに多いなぁ。と思う。

その一部として、弱っている自分を、痛いほどに感じて。

(そう、まさに今です。わたしです。)

 

ちょっとだけカラい文章で、わたしに味付け

 

今日は少しだけ心の奥を突っついてみる文章を書いてみようと、ヘビーな内容ですが、「わたしだから書ける」という言葉への挑戦も込めて書き残しています。

言葉の1番の贈り主は、臆病で不安に駆られている「自分」に向けて。

なんだか、周りの子を見渡すと「本気になるのがかっこわるい」という風潮があるように感じて、わたしはどちらかというと、物事の根っこを考えるのが、マニアックなほどに大好き。(気持ち悪がられます)

なので、真剣な内容をどこか茶化して、はぐらかして、たまに「真剣さ」を出せば、「病んでるの?」なんて声も聞こえたこともある。

物事や、自分に向き合う作業って客観的に見たら、物凄く「青臭いもの」と感じてしまうし、「こそばゆい」想いが根付くのは致し方ないことと思う。

けれど、そこをひとつ越えると清々しいし、かっこいい。

自分の内面と向き合うことは、全然かっこわるいことじゃなくて。

アウトプットしたら、誰かの悩みの手助けになったりもする。

知恵の輪を解く作業をみんなでやるのは、楽しいことだと思う。

 

「死」というゴールからの、あたたかい贈り物

 

命を使う。使命。

よく何の為に生きるのかという哲学のテーマが蔓延っているけれど、
「死ぬ」ことの方に向かって考えた方がよっぽど有意義な気がする。

「恥ずかしいから、本当のわたしは出さないんだ」
なんて、言ってる場合じゃない気がしてくる。

時間軸のゴールは、みんな一緒で、「死」。

何秒、何分、何年とか、個々に違うリミットがあるのは誰もがわかってる。
わかっていても、それを意識して、生きている人ってどれほどなのだろう。

「死んでいくこと」を目の前に感じると、終わりを身近に感じられる。

なんだかそれは、とってもあったかい贈り物のような気がして、
「あなたを使い切るための希望だよ」って、教えられた気がした。

「終わる」ってそういうことだよなあって。

今は、2人がいなくなってしまったことも、「わたしという素材を燃やす起爆剤」だとわたしは勝手に捉えている。

 

「今」というコップが穴だらけな時の、総点検

 

誰かが作った「成功の道」を目指して、追い求めて、老いていく人もいる。
誰かが作った「お金」という循環に奔走して、老いていく人もいる。

彼らが死ぬ時に「よい人生だった」と一言あれば、
そのことに誰かが意味をつけることは、無駄以外のなにものでもなくて。

人の生き様が目について、黒い感情が生まれるときは、
「今」というコップが穴だらけなのだと気づく。

嫉妬とか焦りは「今に穴空いてますよ!」というサインなのは重々承知だけれど、壁についた黒いシミをずっと見ているような、一秒一秒を感じる集中も難しい。

けれど、終わりが希望ということは、今抱えている悩みはとてもちっぽけなものだと、笑える気もしてくる。

コテン、と逝ってしまうその時に、今が笑い話になるような工夫をしていきたいと思う。

今はそんな、総点検の時期だったのかもしれない。

ひとつ、ひとつを文字にすることで、弱っていた自分を客観的に見ることができたら、気持ちがとても落ち着いてきた。

 

「覚悟」がつきまとうから、「移住」のハードルが高い 〜中山間地〜

 

散々哲学的な内容を綴ったけれど、気が済んでしまいましたので、この辺にしておいて(笑)
大幅な方向転換させてください(笑)
気分がコロコロ変わるのです。人間だもの。

現時点で移住におけるさまざまな課題をポイントとして分かり始めました。
また、地域おこしをするにあたって、中山間地に移住者を増やすのは、想定していたことより複雑なことが多いと既に実感しています。

「あぁ、これは、生半可な気持ちじゃ地域おこしできないわ」って。

イベントやって、都会との交流、満足満足〜。っていう、そういうレベルではないなって。

そう、それは、わたしが既に弱っているから。
移住者の一人として。
これが中山間地への移住に対する「覚悟」かも、っていうのが芽生えてきたから。最初は「おためし移住」に近い感覚だったのに。

けれど、これから移住する人に対して「覚悟」っていうハードルを下げるのが、これからのわたしの仕事。

「覚悟」を持たなくても、移住してもらえるような地域にしていく準備が必要なんだと思った。

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新 ほんまHOUSE

 

そうそう、田舎の醍醐味は「手間」でもありますから、一見デメリットなことを魅力に変える力をつけたいと思っています。

 

とりとめもなく長くなってしまいましたが、先日引越しを完了しまして、一旦千葉に戻ったものの、今日から新潟県十日町市の宇田ヶ沢村の集落にて移住生活が始まります。
そして、飛渡地区の地域おこし協力隊として、4月1日から任用されます。

移住ライフから、生き方から、日々思うことまで、今後も徒然と日々を綴っていきます。

本当の自分を出した先に「わたしを好きだといってくれる人たち」とやっと向かい合うことができた。

 

 

「自分の考え」を誰かに伝えるなんて怖くて怖くて怖くて怖くてたまらなかった。

自分の考えや思ってることを文字として書き起こしたら、他人にどう受け取られるんだろう?

という妄想は、ネガティブな方へしか考えられなかった。

 

「この人だいじょうぶ?」

「この人何アピール?」

「自分好きだねえ」

「かわいくもないのに、写真なんか載せちゃって」

「自分の文章に酔ってるのかな」

 

こうして文字として書き起こすと、卑屈以外の何物でもないですね(笑)

それでいて、人からどう思われるかを異常なくらい気にしている。

裏を返せばこの妄想たちは、わたしが誰かにそう思ってるってこと。

ゾッとする。わたしは人に対してそう思ってたんだって。

腹黒さを隠すために、自分に刃を向ける言葉たち。

 

文章を書いては消し、頭の中で文章を考えては、一人の世界だけで終わらせる。

心では「誰かに伝えたい!」と訴えているのに、

頭では「変な人だと思われるからやめておこう。」

 

と、何度となく繰り返して。

頭と心での会話は、ケンカばかりな日々。

心(本音)より、頭(意志)でねじ伏せる。ブレーキとアクセルを同時に踏み続ける。わたしの24年間は「進むのか止まるのか、どっちやねん!」状態だったと思います。

 

本音で生きてしまったら、どうなる?

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心(本音)で思ってることと、頭(意志)で考えてることが違うのに、他人を気にするわたしは本音で生きることより、頭で考えて動くことが多くなっていました。

無駄に知識だけは有り余っちゃって。知識で、自分が大きくなった気になったりして。

あぁ、動けない。そんな自分に嫌気がさす。そんな日々すら普通になる。

人のエネルギーって「心=本音」を燃料として使うからこそ、素晴らしいパフォーマンスが発揮できるのだけれど、「意志=努力、根性」が、自分のエネルギー源だと勘違いしてしまう。

本音は際限ないエネルギー源。自然と湧き上がるものだから、尽きることがない。

わたしたち人間はこの本音の尽きることのないエネルギーを燃やし尽くすことが、本来あるべき姿なんじゃないかって思う。

けれども努力と根性に頼ってしまうのは、「周りの評価」が努力と根性を美徳としていることに、安心感があるから。

そして、心のままに生きることなんて、一部の人間しか成し得ないことだと思ってしまうから。

自分の人生自分だけがコントロールできるものなのに、人生の舵を動かす当事者意識が足りなくなっていく。

意志ベースで何かを能動的に行うことが多くなることで、自分軸ではなく、他人軸での行動になってしまうことすら疑問を感じなくなってしまうなんて、やっぱりわたしはいやだって思って。

わたしはわたしのまんまで、心のままに生きたいとやっと素直になれたから、新潟行きの切符をもらえました。これが片道切符なのか、往復切符なのか未だにわからないけれども、この切符を受け取ることすら卑屈ヤローほんまさゆりは迷っていました。

それが、新潟テレビの取材を申し込まれたときで。

テレビに映るなんてチキンなわたしにはとっても高いハードルでした。

 

肩書きも何にもない、まっさらなわたしだからこそ伝えたい。

 

写真すら撮られるのが、ほんとうにほんとうに苦手でして。

高校生になってから写真には、ほとんど映らなくなっていたほど。

何かを撮るのは好きだったんですけれど。

 

そんな自信のないわたしに訪れた突然のテレビ取材。

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当時は移住をする気もなかったし、4年間勤めた会社の退職とほぼ同時だったこともあり、「無職でテレビに映るのってどうなのよ?」って思ってました(笑)

ましてや、わたしは自分が好きになれなかったから、テレビに映るなんて堪えられなさそうだ!断るべきだ!って思っていたはずなのに。頭ではそう考えているのに。

心はなぜだかワクワクしていて、もやもや。

また、アクセルとブレーキか、と。

ただ今回のブレーキは、頭だったので、心に従ったらどうなってしまうんだろう?という実験をしてみるいい機会なんじゃないかって思ったのです。

そして、取材をお受けするにあたって、自分が持ってる武器なんかなかったこともあったので、背伸びもできませんので、プライドもこれを機会にちょっと捨ててしまおうって。

「無職で、これから生きるべき道をどうしよう?って迷ってるわたしだからこそ、テレビで伝えられるのでは?」という結論に至りました。

 

褒められたら「ありがとうございます!」という言葉にすら違和感を感じる自信のなさに、飽きていた。

 

テレビの取材を受けた際に、昔の写真を使いたいので探してくださいと言われたとき、かなり困っていました。

わたしには10代が辛く、苦しく、生きづらくてたまらなかった時代で写真があまりなくて。

冒頭からもわかるように、わたしはただの卑屈ヤローでしかなかったので、「かわいいね!」って言われても、「あ、社交辞令ありがとうございます・・・」と、よく思っていました。

人から褒められたら返すテンプレート。

「ありがとうございます!って受け取っておきましょう。素直に受け取ったほうが好感触だから!」

と、ありとあらゆる人が言い、実際にその理屈だってわかってはいて。

ものすごく道理だって、わかってはいて。

 

だから一応「ありがとうございます!」とは言っていたけれど、内心はその人がほんとうに思ってるかなんてわからないじゃないかと、常に疑う心がありまして。

自分に自信がないって、それくらい人からの言葉のプレゼントを素直に受け取れない。

まっすぐストレートの球をストライクめがけて投げてくるのに、わたしはバッターボックスにすら立てない。

 

そこで、一度目の取材を終えた後、移住と働き方について改めて方向性について悩みました。

こんな状態で東京に転職して幸せかなあ、と。

そもそもが「移住をしたい」というより、好きなことをする環境があって、得意なことを活かせる場所で、好きな人たちに囲まれて、焦らないで暮らしていく生活をしていきたいと思っていて。

まず根本的な問題であった「自信がない」ことで自分を保ってきたメリットを洗い出してみたんです。

「自信がない」と言っておけば、「わかる」っていう共感と、「この人は謙虚だ」っていう傲慢な感じにならないことと、自信がある人より波風立たないというなんとも泥臭いメリットが。

一体誰に対して?

それらが「自信がない」を捨て切れない理由だったんだなぁと、なんともくだらないことに振り回されていたんだと笑えてきました。

誰に対してなのかわからないメリットを感じるくらいなら、過去のわたしを知らない土地に足を運んでみるのもいいのかもしれない、なんて思ったことも移住のきっかけでした。

 

 

自分を大きく見せずに「伝えたい」に素直になって、やっと「好きだと言ってくれる人」に向き合えるようになった。

 

様々な葛藤に終止符を打って、移住を決めて。

そうしたら、一体誰に向けてなのかわからない「人へ知られることの恐怖」もだいぶ消えてきて。

 

移住の経緯をSNSで記すことにして。

「同じような人がいるんだと嬉しくなりました」とメッセージがいただけて、今週ゴハンを行くことになったり。

(佳奈さんの友達であるみどりさーん)

 

新潟でテレビが放映されて応援メッセージを多数いただけたのと、友達になりたい!という声をいただけたり。

(新潟県の皆様)

 

新潟の人に会いに行くツアーで繋がった皆さんと一度きりのご縁ではなく、二度目があったり。

(雪花火ではみどりちゃん、作品撮影にきていただける田中さんご夫婦。

そして、さやさん、あや先生、とももう一度絶対。

鴨志田農園にもいきたい・・・。もっと皆さんにまたあいたい。)

 

音楽をやっている素敵な方たちと繋がれる場にいって「こうしていきたいんです」って自分を肥大化せずに、お伝えしたら「おもしろい!」って言ってくださって、これからクリエイティブ面でも一緒に活動できる方たちとつながったり。

(吉岡さん、夢美さん、嶋さん、リーダーミーティングにいた皆様)

 

ブログをはじめたことで、

わたしのもやもやを整理できて、誰かのもやもやの整理にもつながるなんて、しあわせです。

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自分を惜しみなくさらけ出すことは、冒頭の卑屈な妄想で思ってることなんかひとつも起きてなくって、むしろたくさん応援してださる方が増えて。

 

ただ、昔の友達や同級生からはもしかしたら煙たがれてるのかもしれない・・・なんてまだ卑屈な気持ちはあるけれど、ようやくわたしを「いいね!」といってくれる方たちに、向き合える自信がつきました。

 

嫌われることに怯えるより、目の前の好いてくれる方たちに向き合える日がきて、自分が自分であればあるほど、喜んでくれる人がいるんだと驚く日々です。

 

なので、今後もさらにとうしんだいな自分で発信を続けて、関東で悩んだわたしだからこそ、これから移住を考える方たちや、ライフスタイルに向き合っているひとたちに繋げられたらいいなと思います。

今は移住に向けての引越し準備など、自分の活動に向けてもいろいろな準備を初めております。

 

勇気をだして飛び込んでみたら、手を差し伸べてくれる方々はたくさんいるんだな、とありがたさにふける今日でした。

「伝える」に必要なことは「人」に寄添う気持ち。

 

丁寧に教えてるつもりでも伝わらないことがある。

丁寧に教わっていても理解できないこともある。

 

わたしは今では後者がとても多いのです。

で、何度も聞くのも失礼なので、わかったふりをしてしまい、何度となく失敗してきました。それでもわかんないことが多くって。わからないことを気づかれちゃうのもなんとなく嫌で。

 

嘯きながら繰り返す「わかりました。(実はわかりません)」は、弱いわたしを守る手段でした。

 

特に、目上の人から話を聞く時は緊張するので、頭が緊張でカチカチで「期待に応えなくちゃ」「聞き逃したら大変なことになる」と思うのです。そうして自分を追い込めば追い込むほど、「わかりませんけど、わかりました」が増えて行く。なんていう、悪循環。

なので、そう思うことが増えるたびに、「わたしならどう伝える?」と考えるようになりました。

「この人、こういう伝え方をすればいいのになあ」と思うことがあれば、「自分の脳ミソの性能があまり良くないんだ」と言い訳することも多かったので、ちょっとずつ「伝える」に向き合うことにしました。なぜなら、何かのせいにするのは、誰も得しないし、何より自分の成長を妨げると気づけたから。

また、数年前まで極度の人見知りだったので、「伝える」「聞く」「コミュニケーション」は連動するものだと思うようになり、「どうせ生きるなら、楽しく人と関わりたい」と思うようになったのも大きいです。

 

わたしなりの「伝える」の向き合い方は、人から受け取る言葉の違和感を一つずつ解いていく過程が必要でした。

 

「若いから大丈夫だよ」に聞き飽きてしまった。

 

一言添えておきます。毒づくつもりはありません。

ですが、会社を辞める時によく言われた言葉が「若いから大丈夫だよ」

この言葉にとても違和感を感じまくっていました。ちっとも嬉しくなかったんです。この言葉のプレゼント。貰いたくないなあ、って思ってしまったんです。

言葉のプレゼントを贈った側に悪意なんてないのです。わたしが踏み出す一歩を応援してくれてるはずなのに。

 

なので、なぜこの言葉は貰っても嬉しくないのか?と考えた時に、ハッ、っと気づきました。

 

「その人の言葉じゃないからだ」と。

 

「世間一般」で言えば、わたしの年齢は若いのか若くないのか、と問われたら、若い方なのかもしれないです。でも”若さ”とは曖昧でよくわからない。

ただなんとなくわかるのは、転職市場の年齢の価値とか、学校卒業後の年齢のカウントとか。20代だから、とか。

「若いから大丈夫」は「世間一般」の言葉であって、その人が「感じている」言葉ではないことが「伝わらない」原因なのだなと、解けた時は数学がひとつ解けたような気がしました。

テレビや、行政に「あなたの年齢はまだまだ人生を変えられる力がありますよ!」と言われているのと同じで、耳からすぐにすり抜けてしまうのです。

 

「慣れるから大丈夫」に、「今」共感はできない。

 

会社を辞めてから「企業に属す働きかた以外にどんなものがあるか?」と、いろいろと調べた結果、システムエンジニアでは、フリーランスで場所を問わずに働いていることを知ったんですね。

なので、エンジニアという未知の世界とはまずどういうものなのか知るために「無料体験プログラミング」という説明会兼体験会に参加することにしました。

説明会では「ほうほう〜面白い分野だなあ」と少し興味を持っていたんですが、いざ体験会を実施したら「Hello world」を表示させよう!という取り組みがあり、C言語?ですとかエンジニア専門用語にものすごくパニックになりPCをずっと睨みつけていました。

「わからないことがあれば遠慮せずに言ってくださいね!」と言われたのですが、

「何がわからないのかそもそもわからない」

と思ってて、長い間PCを睨みつけて何分かたっていて、それでも「わからないポイント」をなんとか見つけなければ!と思っていて、やっと「ポイント」がひねり出せたんです。

 

ここで「初めて」「わからない」と声に出すことができたんです。

「わからない」と言葉を放つには「何がわからない」かを「ポイントとしてわかる」必要があったのです。

それから、講師の方は丁寧に説明はしてくださったんですが、それもイマイチ飲み込めなくて、四苦八苦していたら、

 

「やっていけば慣れるから大丈夫ですよ」と微笑みかけてくださっていて。

 

「・・・わあ〜〜〜〜。やさしい言葉なのにつらあ〜〜〜〜〜。」って思ったんですよね。(笑)

 

なぜなら「慣れ」は未来の話であって、「今」のわたしに寄り添う言葉ではないかったから。

そこに共感はできないなあって思ってしまったんです。たとえその人の経験から基づく事実であっても。説得力の前に、「今」「その人」に対する寄り添う気持ちが土台にないと、「伝える」は成立しないのだなあと。

また、ここでわたしは「伝える」で絡まっている糸が解けた気がしました。

 

「あなたなら大丈夫。」その一言がうれしかった。

 

絡まった糸を解いた後に、見つけた方程式。

「自分自身が感じた言葉」×「今」×「伝えたい人に寄り添う気持ち」=「伝えること」

ということでした。

 

本間オリジナル「伝える」という方程式ができあがりました。

 

なので、これから「伝える」ことがうまくできなかった時は、このうちのどれかが欠けているんだとわかるようになりました。

理解できない相手が悪いんじゃなくて、方程式に必要な材料が足りないだけなんだと。

 

これに気付く前は「伝え方」だけを考えていました。

もちろん「伝え方」には幾千のやり方があり、工夫することはとてもとても大切なことです。

 

この見つけた方程式抜きで「伝える」をすると「伝える側」の人はどんどん苦しくなる気がします。

バシバシ何かの宣伝をやってるのにイマイチ反響がないとか、頑張ってるのに伝わらないとか、自分主体すぎてせっかくの素敵な内容なのに伝わらないとか。

 

そして、会社を辞める前にいただいた言葉で「本間さんなら大丈夫!」って言われたことは今でも、心に強く刻まれています。

それは、その方自身が本間小百合という人物に対して「そう感じて」伝えてくださったから。

 

この言葉のプレゼントをいただいて、わたしも誰かを応援する時は「あなたなら大丈夫」と言える人でありたいな、と思いました。

 

生きていく上で、「伝える」は大事なコミュニケーションです。「伝える」ことで何をどう思っているのか知ってもらえるし、知る側も価値が溜まる。そんなウィンウィンな出来事がもっと増えればいいなと思います。

 

まだまだ、発展途上のわたしですが、この記事が一人でも多くの方に伝わればいいなと思います。