ほんまさゆりについて。

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本間 小百合と申します。

「もんちっち」というあだ名があり、もんち、もんちゃんなどと呼ばれます。

1991年9月11日生まれ。

1と9しか含まれない珍しい誕生日。数秘術とやらは”22”という珍しい数字だそう。

 

母の里帰り出産で、山形県米沢市で生まれ落ち、3ヶ月後には千葉県へ。

育ってきた環境は千葉県習志野市秋津という、海が近い穏やかな場所。

ほどほどに都会っ子です。

2016年4月現在は、24歳。

 

子供時代は、自然大好きな男勝りの女の子。

 

泥だんごを作ったり、カードゲームで遊んだり、スマブラやったり、インドアとアウトドアの両方をこなす活発女子でした。

小学6年生のときに、となりの席だった「たいがくん」と喧嘩して、教科書破ったりしてました。

ごめんなさい。

その後、たくましく活発なわたしは中学生になり、ソフトボール部として活動を始め、土とボールと仲良くなり、小麦色のやんちゃな女の子になる。

 

高校生に入り「やんちゃ」から、「しっかりしなくちゃ」という言葉に支配されるように。

 

高校1年生の時に公立高校に入学したものの、校風、人に馴染めず2年になるタイミングで通信制の高校へ編入。

その頃より、「お金がない」という言葉を母から度々きくようになったことと、兄が大学受験に失敗し、家にひきこもるようになるのを見て、「わたしが働いてしっかりしなくてはいけない」と思うようになり、”おとなになる背伸び”を始め、青春を謳歌する同級生と疎遠になる。

自分の価値を認められるものは、「働いて、お金が入る」しくみだけ。

そんな家族との環境に心がすり減り、「早く結婚して、家を出たい」と思うように。

 

19歳で結婚し、21歳の時に離婚しました。

 

「・・・え?」

と、2度聞きされる経歴がここで登場。

19歳だった時、1年半ほど付き合っていた7歳年上の男性と結婚し、21歳の時にお別れしました。

結婚生活は約2年ほど。

「別れた理由」は一言では語りつくせませんが、お互いにとって「しあわせ」が今後多くなる道が、「別れ」だと思って選択した、前向きなものでした。

「やりたいこと」と「結婚生活」の両立が、当時のわたしには「負担」という解釈でしか捉えられなくなり、「好き」だけでは乗り越えることができませんでした。

そんな彼とは、今でも程よい距離感で仲の良い友達です。

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あらゆるバイトを経験し、某金融会社本社の営業事務のOLとなる。

 

スーパー、コンビニ、着ぐるみ、イベントスタッフ、飲食店、居酒屋、ディズニーシー、無印良品、アパレルスタッフ、その他・・・。

高校が通信制だったことと、就職の道を選ばずに「何が自分に合う仕事か?」というのがわからなかったため、いろんなバイトを経験しました。

20歳のときに、「接客業は自分には無理」と思い、某金融会社の本社の営業事務スタッフにアルバイトとして入社。(当時は結婚していたのでパート)

離婚後、一人暮らしの生活をアルバイトで賄うのが大変だったため、平日は事務、土日は派遣のスタッフとして働くように。

 

手に職つけるために、DTPエキスパートの資格をとる。

 

離婚時のストレスから逃れようと、「忙殺」に頼るように。

平日、土日ともに「時給」に支配されていたために、そろそろ「月給」にならねばと思うようになり、手に職つけようと思い立つ。

DTPという分野に興味があったため、働きながら「DTPエキスパート」という資格をとる。

DTPのデザイン業界に転職しようと動き始めたときに、「月給」「ボーナス付き」の”契約社員”に誘われる。

当時のそのお話はスピード出世で、「そんなに好きな仕事ではないけど、休みも取れるし、安定した給料も入る」という魅力に、「この会社で出世しよう」と思い始める。

 

働いても、働いても、満たされない。

 

決まったお給料がもらえ、上司にもそこそこ恵まれ、沖縄、名古屋、岡山、大阪と出張もたくさんさせてもらい、仕事の責任も増える。

出世欲が強く、向上心があったわたしは、そんな環境に5割ほど満足していたものの、「少し我慢さえすればお金が入る」という、残りの5割のくすんでいく自分に疲れるように。

”出世したい”という、仕事への「結果重視」に前のめりになり、「比較」ばかりの生活に疲れきってもいました。

次第に、体だけが正直になっていき、勤務中にストレス性の腹痛で救急車に運ばれ、過呼吸になったことにより「なんて自分らしくない生き方なんだろう」と思い、2015年12月に約4年間大事にしてきたOLという肩書きを捨てました。

「好きなことをやりながら生きていきたい」という気持ちにやっと、本気で向き合うように。

 

 

地方の生活を知り、「都会で暮らす」という大前提に疑問を持つ。

 

そんな中「全国移住女子サミット」という地方で暮らす女性の暮らしが聞けるイベントへ、軽い気持ちで参加する。

登壇した女性たちの「自立」という言葉を体現したような姿に衝撃をうけることとなる。

地方では「自分で創る仕事」があるんだと知り、”企業に属しながら働く”という生き方以外の選択肢を身近に感じるように。

「東京で暮らすことが前提」だった自分に「初めて」疑問が生まれた。

イベント会場にはテレビ新潟も取材に来ており、たまたまテレビ局の記者さんに密着取材をされることとなり、様々な方とご縁が紡がれ、「地方で生きながら、自分の生き方を創りたい」と思うように。

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「地域おこし協力隊制度」と出会い、企業から属す生き方から外れる決意をする。

 

どのようにしたら、「自分にあった、生き方が作れるだろう?」と考えたとき、「地域おこし協力隊」の制度を知りました。

この制度を使いながら自分が手に持っている得意なことで地域に貢献しながら、独立を目指して行こうと気持ちが固まる。

得意分野の「アートに関わる仕事があれば」と思ったので、「アートの町」と「地域おこし協力隊」を検索したところ、新潟県十日町市がヒット。

「ここだ!」と直感が働く。

テレビ新潟の記者さんに再度「新潟県十日町市に移住する」というご連絡をしたところ、再び密着取材を受けることとなり、第二弾目、第三弾目、第四弾目と取材をしていただける。

 

わたしの「移住」のテーマは「自分の生き方を創る」

 

現在は、新潟県十日町市飛渡地区の地域おこし協力隊として移住しました。

集落は宇田ヶ沢村。三ヶ村という三つの集落が合わさった中のひとつでもあります。

「ライティング」「写真」でブログ発信し、「歌うこと」「花での作品制作」「イラスト作成」がそれぞれ中途半端でしたので、すべての強みを生かし、地域ブランディングにも役立てながら、”本間 小百合”としてのセルフブランディングも奮起中。

地域おこし協力隊の最長の任期は三年。

発展途上の「等身大の姿」を綴るのがこのブログの特徴です。

地域ブランディングとセルフブランディングの両方を綴っていきたいと思います。

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