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移住してから始まった青春 〜ギルドハウス十日町に出会って〜

ある日の、おだやかな昼下がり。

とある古民家で時間がゆったりと流れていました。

 

「もんち〜!」

 

その声の先には、手をひらひらと招きながら

子供のような瞳でわたしに話しかける

ギルドハウス十日町のマスター、ハルさんでした。

 

そう。

わたしは「もんち」と呼ばれています。

 

「アドベントカレンダー書いてよ!」

 

その元気な声が、薄明かりが射す古民家にしっとりと響きます。

 

 

 

「ア、アドベンチャーカレンダー??」

そう、聞き返した気がします。

 

それは何やらギルドハウス十日町のことについてブログに書けば

どんなものでもいいという。

 

「いいですよ〜。」

そう、言った。

つい、返事してしまった。

 

…というのは冗談で。

 

せっかくの機会なので、

ギルドハウス十日町のちょっとした思い出を書いていけたら。

 

ほんとうは書きたいことは山ほどあるけれど、

時間に追われてしまったので、

まずは、今感じてる「しあわせ」をギュぎゅっと。

 

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年上には必ず「敬語」をという「常識」を捨ててみて

 

一昔前は自分が嫌いと言いながら、

とても愛されたがりやだった。

 

そんな愛されたがりやは

10代のとき自分で自分を苦しめ、

学校にいくのが嫌いになって。

 

公立高校を1年で辞めて、

高卒の資格だけとって、「遊び」を忘れてしまいました。

「学業」とか「青春」とかと一歩構えて。

 

同級生とあまり交わらなくなり、

大人と交わるようになって。

 

 

「年上には必ず敬語を」

 

それが、自分の常識で、

自分の常識だけが自分の世界で。

 

そんな狭くて暗い道を、ちょっとだけ見える明かりを頼りに、

4年ほど会社員として社会の歯車になりました。

 

そして、十日町への移住。

とあるイベントで知り合った人がギルドハウスの住人でした。

 

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その住人とは大塚まこと君という同い年で、

まこちゃんと呼ばれていて

仕事の方向性が似ていたので、

「ちょっと打ち合わせしよう」ということで、

訪ねたのが「ギルドハウス十日町」。

 

「常識がない興味深い家だな」と思った記憶があります。

その興味からは、自分の「常識」が、少しずつ柔らかくなる音もしました。

 

そんな音を頼りに、住人のみんなとちょこちょこ話すようになったんです。

「自分が今まで関わったことのない人と関わってみよう」って。

 

それに加え、人見知りでコミュ障なわたしは、

心の防具をたくさん準備して、

ギルドハウス十日町に遊びに行っていました。

 

「人見知り」を理由に変化とか成長とかを

諦めたくなかったからでもあるかもしれません。

 

 

 

そして、夏ころからでしょうか。

 

自分を変化させる手段は

自分の常識の「正しい」という

主張を変えることだと思い、

「敬語」を極力やめたんですね。

(仕事相手は別ですよ)

 

なぜなら、「年の差は地球の誤差」などと住人が口々にいうから。笑

 

 

 

この歳にして、青春が始まった。

 

わたし、9月で25歳になりました。

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でも、最近思うんです。

「今が一番青春だな」って。

 

「敬語」をやめてから、

住人に対して「友達」というより、

「仲間」という感覚に変わりました。

 

 

住人のゆうたろうが主催した、

音楽フェスの準備やら何やらを一緒にして、

「なんだろうこれ、文化祭みたいだ」

って思ったんですね。

 

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お金をもらわなくても楽しいから手伝ってしまう。

つかれているのに、朝起きるとワクワク感が出てくる。

 

こういう感覚って、社会人になってから、

久々に湧き上がった気がします。

 

この後から、ゆうたろうやまこちゃんと

「やっと仲良くなれたなあ」

なんて思った気がします。

 

 

 

仕事が楽しいのは、「遊び」ができるから

 

「友達」って言葉が少し苦手です。

でも「仲間」っていう単語は、ワクワクします。

 

「友達」が100人いたって、

1000人いたって、

有名人と繋がっていたって、

そんなことどうでもよくって。

 

けれど「何かを一緒にやれる」という「仲間」と繋がってるのが、

人生を楽しくしていってます。

「仲間」という言葉もだいぶ、

いや相当照れくさい気もしますけど。笑

 

麻雀という遊びを覚えてしまったり、

テレビゲームで激戦したり、

大富豪で負けて寒い中、川で相撲したり。

「仲間」というか「遊び相手」に近いかもしれない。

 

都会に住んでたときと違うのは

山で遊んだり、学校で遊んだり、

「飲み会」とか全くしなくても

ご飯食べながら笑いあってる。

(お酒はみんな飲めますよ)

 

「ゆるふわ」なのに、「人がつどう」

 

ここでハルさんがやっと登場しますけれど、

ハルさんが放つ二酸化炭素や酸素からそういった空間をつくり、

「仲間」が集うような「場作り」を「ゆるふわ」でやってのけます。

その「ゆるふわ」は俗にいう、女子のアレじゃなくて。

とにかく「ゆるふわ」なのに、ハルさんにしかできないんですよね。

 

女将のマチコサンは、ハルさんの良きパートーナー。

マチコサンの出す、二酸化炭素や酸素は、

ギルドハウス十日町に絶対に欠かせない人。

 

ふたりの特徴はなんたって「自然体」でいつもいることなのです。

 

「こうしなさい」「ああしなさい」

そういうルールがありません。

 

人の能動性を信頼しています。

 

「人をコントロールする必要がない」という

「その人に委ねる」という姿勢が、

「こうあるべきと」いう自分の主張の裏を孕まないことで、

自分が自分で在ることのできる

最大の手段なのではないかと

ふたりを見てて思います。

 

いつも自由に見守ってくれていてありがとうございます。

父のような、母のような、存在。

 

いつも「ただいま」を言わせてくれてありがとうございます。

「おかえり」をくれてありがとうございます。

 

シェアハウスはご縁と出会いの場ってほんとう?

 

最後に。

「出会いはあるの?」なんて疑問に思ってる方。

 

はい。あります。

 

そう、これは、都会でもよく聞きますけれど。

「ギルドハウス十日町」では、「出会い」がより顕著に映る代名詞かもしれません。

 

それが、

「恋人」である人もいるし、

「仲間」である人もいます。

 

 

わたしは、縁あって今おつきあいをしている方はギルドハウスで出会いました。

そのことについては、またいずれ。笑

 

それでは、みなさん、ギルドハウスにいってみてくださいね。

 

 

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