東京だけが栄えるのは本当?それ酒飲みながら言ってんじゃないの?

佐渡。
 

以前勤めていた会社では、
やっかいな島だと思っていた。

 

金融商品を提供しようにも
離島だと運用費がかかっていたから。

 

新潟全体でも「収益がとれない」
そういう位置付けをしていた。

 

全国的に数値を割り出して、収益を求める。
それが「会社としての方針」だった。

 
 

需要があっても収益がとれないものは、

 

よほどの繋がりがない限りは、決裁はおりない。

 
 

「それが当たり前。」

 
 

東京の真ん中で働いていた時は、
地方を「数値」として評価していた。
なんだか自分が地方の人より
上に立っているような感覚さえあった。

 

今はその感覚が「無知」の警鐘に
気付いてなかっただけなんだと
心を掴まれた、佐渡の棚田サミット。

 

お米のブランディングの勉強として
参加させてもらった。

 
 

東京だけが栄えるのは本当?それ酒飲みながら言ってんじゃないの?

 
 

「棚田には夢がある」を軸に、現地視察、
棚田の価値について分科会ごとに学びを深める棚田サミット。

 
 

会場の熱気は、まだ息をひそめていた。

 

里山資本主義。

地方に感度のある人なら
ほとんどの人が知っている
著作なのではないだろうか。

 

「里山資本主義」を執筆した「藻谷浩介」さんが、
会場の空気をいつの間にか異様なものに変えていた。

 
 

粛々と進められるプログラムの中のひとつとして
講演が始まったからだ。

 
 

「電気消してください。
わたしの講演スタイルは、
こういうスタイルなんでね。」

 

油断していた眠気が吹き飛ぶ。

 
 

「そこの眠っている方。
せっかく佐渡にまで来たのに眠ってるんですか?
あなたですよ。まだ気づかないんですか?
わたしはね、義父の葬式に出席せずに
佐渡に来たんです。
葬式ではなく、佐渡に行けと
あの人も言ったでしょう。」

 

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「本気」で伝えようとしてる人は
こんなにも格が違うのか、と
わたしは目ん玉を見開いていた。

 

葬式云々の話ではなく、
いかに多くの人に伝えるかという
「本気」ってこういうものかと思ったから。
そこらへんのセミナーとは違う。

 

ノートにメモを走らせる手が止まらない。

 
 

言葉の抑揚、アイデンティティという食材を
「藻谷浩介」として調理して、
地方の本質的な価値を「事実」をもとに述べる。

 
 

述べるだけではなく、「伝える」という料理が
目の前にたくさん現れる。

 

気付いたら涙が出ていた。

 

その涙にはいろんな感情があるのだろうけど、
シンプルに「感動」してしまった。

 

自分の思考がいかに
「机上の空論」から統べる思考だったのかと気づけた。

 

そして、藻谷さんの言葉がいかに地方の価値を
「事実」を元に「未来」を見せてくれたか。

 
 

「”東京だけが栄えるのは良くない”とか、
あなたたち、酒飲みながらいってんじゃないですか?
この人口のデータは、住民票を元にした事実なんですよ。
東京だけが栄えるなんてのは嘘なんですよ。」

 

そう、それは人口データだった。
都会で出生率、佐渡での出生率。
人口推移。高齢化の事実。

 

「こういう事実を知ってから、棚田、里山と、言ってください。」

 

ぐうの音も出ない。
協力隊がこんなことも知らないで地域おこしなんて、
地域の人に失礼すぎると思った。
自分を恥じた。
同時に伸びしろでもあると思ったし、
新しい視野を開拓できると思った。

 
 
 

社会とは自分であり、日本とは自分であること。

 
 

わたしは藻谷さんの言葉のひとつひとつが、
無知に入る言葉すぎて、現在も咀嚼できていない。

 

自分で確かめなければ。
自分で学びを深めなければ。と。

 
 
 

藻谷さんの著書である、
”里山資本主義”と、”しなやかな日本列島のつくりかた”を購入した。

 
 

「棚田の価値は80代の人に聞けばわかる」
その言葉の真意も確かめなければと思った。

 

今のわたしが「棚田の価値」を誰かに伝えるなんて、
おこがまし過ぎる。
本質的なことはひとつも言葉に出せない。

 

自分が協力隊として活動する地区には
幸いにもそんな宝のような人材がたくさんいる。

 

冒頭で書いたような、「地方をお金で換算」でしか見れなかった自分。
そんな自分を今一度事実で壊したいと思った。

 

都会に住んでいる人の大半が「お金」による不安を抱えている。
それは、社会のせいにすることもできるけれど、
「自ら」切り拓いていくしかない。

 

社会とは自分だ。
日本とは自分だ。

 

わたしたちはいつのまにか
何かのせいにして「自分」を忘れている。
棚に上げている。

 

現在のわたしは、都会で働いていた時に比べたら
「お金」に対する不安よりは、
「生き方」を貫けるかの方が大きい。

 

地方に住むと、支出が明らかに減る。(もちろん工夫次第ですが)
お金による執着よりも、人や資源に対する感性が養われる。

 

「地域おこし協力隊」なんて名前だけで、
じさばさを幸せにするお手伝いっていうのは、
なんだかすごく上から目線だな、と
わたしは自分に反省している。

 

なぜならこの土地のじさばさは、
都会より明らかに豊かな生活を送っている。
自分のしあわせがなんたるかを知っている。

 

むしろ私たち若い世代の方が、
自分で自分を幸せにする力が弱いと思う。

 

協力隊なんて名前だけで、
むしろわたしたちの方が学ばせてもらっていることを
忘れてはならない。

 

そんなことを思った棚田サミット。

 

(他に学んだことは、地域に実際に落として行動にしてから)

 

棚田の価値はもっと学びを深めてから
言葉にしたいと思います。

 

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