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他人「任せ」にしない。けれどもお互いの長所を「頼り」あって、地域づくりをする。

「すごいね」と言われるたびに、泣きそうになる時がある。

「かがやいてるね」と言われるたびに、「そんなことないのに」と思う時がある。

「行動力があるね」と言われると、空回っている自分がやるせなくなる。

 

それは「自分自身への評価」と「周囲との評価」のギャップに苦しんでいるから。

わたしは、自分が「すごい」とか「かかがやいてる」とか、未だ、思えていない。

日々失敗と、反省と、ドジばかり。

なんでこんなのもできないんだろう。と焦るばかり。

 

「あぁ、また嫌われたな。」とか。

「あぁ、あの一言余計だったな。偉そうにいってしまった。」とか。

「人見知りを理由にして人付き合いを避けて情けないな。」とか。

誰かに傷つけられることより、自分で自分を責めて傷つくことが9割方と言える。

「傷つく」のなれの果てはただの自己否定。

 

けれども、それがまるまる、今の自分。

「自分探し」なんてものも、とうに終わって。

自分を受け入れたいけど、受け入れられない境地で日々自分と向き合っているから、探すという名ばかりのかくれんぼゲームからは脱して。

生きていく上で、ヘマする自分をいかに受け入れられるかで、空も、山も、虫も、人も、何もかも違ってくる。

自分が好きだと、愛情が内側から外側へ注げるようになる。愛情は自分というコップからあふれると自然と自分以外のものに注がれる。

内側が空っぽだと、「誰かのため」なんてのは、すぐに干からびていってしまう。

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「がんばっているのを知っているよ。」とやさしく、背中を押してくれる。

 

ここまで上の文は、数時間前に書いた文章で、どんよりしていた。なぜならモノゴトの振り返りが悲観的になっていたから。

けれど先ほど終了した、「田毎の月の反省会」兼懇親会に参加してきて、すっかり気持ちが変わっている。

飛渡地区の三ツ山集落の方達が集まっていて、田毎の月の次年度の運用について、2ヶ月しか移住していない自分が声をあげさせてもらったら、柔軟に耳を傾けてくださり、「あぁこの方達は未来をみつめているんだなぁ」と感じた。

 

あるおじいちゃんが素敵な言葉をくれた。

「あなたはすっごく、がんばりやさんだ。噂で聞いているよ。すごく期待しているんだ。うちにおいで。昔話を聞かせてあげる。」

なぜだか泣きそうになる。認めてもらえてるんだ。

忙しない日々の中で、「がんばる」と「無理する」の境目が未だによくわからないけれど、今の自分に対して愛しく思えた。

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また、別のおじちゃんも背中を押してくれた。

「あなたに初めて会った時、以前住んでいたあの彼女と同じだと思ったよ。彼女は誰に何を言われてもやりたいことを貫き通してね。ほんとうによくがんばっていた。”疑問を声にあげる”と仲良しの輪からは、はじかれるときがある。自分も惨めな想いをしたんだ。」

間が空く。

「きたばかりのあなたにいっていいのか迷うけれど・・・。」

あぁ。ここで会話を紡がなければ、この方の「本音」がどこかに消えてしまうと思った。

 

「いいんです。いってください。」

そう言って、3秒ほど、言葉が紡がれるのを、待った。

 

「・・・意見を言わないことはね、平和なのかもしれない。けれどね、声をあげる人が、”あいつは反抗的なやつだ”と言われる風潮は、違うと思うんだ。反対されても、議論することは大事なことなんだ。だからあなたはやりたいことを貫き通していいんだよ。そんな風潮を変えていってほしいんだ。もちろん、誰かには嫌われるかもしれない。だけど、あなたの志を貫いてほしい。村の人すべてにいい顔していたら、あなたのやりことできなくなっちゃうでしょ。やりたいことやればいい。あなたには以前いた彼女と同じものを感じるんだよ。」

 

まっすぐなボールだと思った。嘘のない、「希望」が乗せられていた。

同時にこんなボールを受け取れて、光栄だな、と思った。

この土地に2ヶ月しか住んでいないし、その場で語りあった方達とは何度か面識があっただけで、しっかりと話したこともなかった。

それでも、空気や、言葉や、意志が、数時間の間で伝わっていたんだと思うと、勇気をだして「伝える」をやってよかったな、と心から思った。

 

農業はできないけれど、農業を伝えるお手伝いはしたい。

 

わたしは、協力隊としてやりたことがかなり固まっている。それをいろいろな人にお話させてもらっている。アドバイスをくれたり壁にぶちあたったり、そんな毎日。

飛渡地域は「食」や「農」に対して、とても魅力のある土地。

けれどわたしは「農業」をやろうと思ってきたわけではなく、外仕事も苦手。

「農業やりにきたの?」と聞かれ、「いいえ」と答えたその後の寂しそうな顔をされるのが、心がチクリとしたりもする。

だから、自分の気持ちは伝える。中途半端は気持ち悪いから。

「わたしには農をやる技術はありませんが、みなさんは技術を持っています。わたしはその技術や、農を伝えたり、売るお手伝いをしたいと思っています。」

そう伝えると、途端にみなさんの顔が華やぎ、いろいろな希望や夢を伝えてくださる。

お米についてのこだわりや、村のビジョン。

飛渡全体を元気にしたいのはもちろんだけれど、まずは自分の村を元気にしたいと熱く語ってくださる。

その思いに対して、「こんな方法とこんな方法がありますよ」と提案すると、「あぁ、そんな方法もあったかぁ」と柔軟に耳を傾けてくださる。

わたしのような移住二ヶ月の24歳の小娘の言葉に耳を傾けてくれるほど、「村を愛している」ことが伝わって来る。

IMG_4616Photo by Hattori 田毎の月観月会

 

すべてに良い顔はできないから、自分の志と重なる部分と全体的な視野を

 

最近は「ただの飲み会」から「本音を聞き出す飲み会」にシフトしたいと思って、コミニケーション方法を試行錯誤しており、飛渡全体の方々が、様々なビジョンや想いを語ってくださる。

「実はこう思ってるんだよね」そんな言葉がもらえると、うれしい。

「これなら、任せてほしい」と頼らせてもらえる力をいただけるのも、うれしい。

飛渡地区は14集落あり、任期中に自分のやりたいことをやるためには、すべてにいい顔できないけれど、その村の方達の想いと自分の志(やりたいこと)の重なる部分が見つかると、あしたもまた頑張ろうと思える。

 

何かを「変化」させるのは、エネルギーがいる。

 

その「変化」を求めなければ、エネルギーはいらないかもしれない。

それは「楽」かもしれないし、「平和」と呼ぶかもしれない。

けれど「変化」することを、「決めて」いるから、

壁にぶち当たったとき、「じゃあどうすればいい?」

そんな思考パターンが「当たり前」になる。

 

ゴールに向けての「点」ならば、乗り越えることを考えるのが「当たり前」

弱っても、迷っても、芯がブレない人間になれる。そんな土地に足を置いた。

 

他人「任せ」にしない。けれどもお互いの長所を「頼り」あって、地域づくりをする。

この集落はそんな他人と、自分の役割の線引きと、チームワークを大切にしながら、「希望」に「変化」を望んでいる。

 

「しがらみ」「伝統」「常識」に固執する人は、田舎では珍しくないけれど、

「尊厳」も大事にしながら、「新しい風」も取り入れる。

そんな柔らかさを感じる、日だった。

昼間の暑さからがらりと変わって、冷涼な風も吹き、干からびていた大地に恵みの雨が降りだした今夜。

 

頼られると「やること」レーダーがグイーン、と自分キャパをオーバーしてしまうことが悩みだけれど、転びながら、頼りながら、気付きながら、変化を楽しみながら、進みたい。

あしたはツリーハウスを村の方にご紹介いただけることになったので、下見にいってまいります。

 

やることが盛りだくさんで、何やらまたすぐにでもキャパオーバーしそうですが。。。

歩きまっせ。

 

 

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