画像

「恋愛」「結婚」を”ふつう”なことだと語らわないことが”ふつう”になってから、「固定コミュニティー」が苦手になった話。

わたしはどこかに遊びにいったり、旅行にいくと大抵、怖くなる。

それは、高校生から今に至るまでずっと。

 

 

「逃避としての旅行なのか?」

「日常を惰性として感じたくないからなのか?」

 

なんて、小難しいことをいつも考えてしまうから。

基本的にはインドアが好きだから、アウトドアな人たちを見ると一歩構えたりする。

 

観光スポット、おいしい食べ物やさんが立ち並ぶスポットにいくことが、

「若者としての遊び」という、概念が自分の中に存在していて。

 

わたしはその「若者としての遊び」が苦手だった。

それは「固定のコミュニティー」が怖かったからなんだと思った。

 

「上司に守られる」ということ

 

仕事が終わってからも(いわゆる定時というやつ)

仕事のこと、暮らしのこと、これからの自分の生き方、

何を伝えるか、何を活かすか、どうしたら良いのか。

四六時中考えて、仕事の締め切りをオーバーして、怒られる。

わたしは自分で自分のキャパをまだ分かっていないのでそんなことがよくある。

 

ちょっと時間を作れば、

締め切りをオーバーすることはないはずなのに。

 

仕事の締め切りをオーバーするということは、

「求められているいるけど、自分の中で優先順位が低いもの」

として、勝手にカテゴライズしてしまっているから。

 

わたしに実害はないけれど、協力隊に「上司」は存在し、

その方々が何かしら頭を下げていることになる。

(いつもご迷惑をおかけしております)

 

「上司」に守られていると、「時間概念」「お金の循環」などの意識が薄れていく。

以前勤めていた会社ではそれらに対する「危機感」がいつもあった。

 

「守られる」というのは、あたたかい言葉なのかもしれないけれど、

「自分のケツは自分で拭け」なんて言葉がある通り、

「自分で考えて自分で動く」というプロセスを、省いてしまう。

 

おせっかい上司と、放置型上司、どちらが「良い」?

 

「上司」という立場は、部下に「依存」させると、

「能動クラッシャー」になりうる。

 

たくさん失敗させて、たくさん「どうすればいいのか?」を与える。

「こうしたらいいよ」と、細かくアドバイスされることが

「良い」と思われがちだけれど、

細部にわたってアドバイスするということは、

「上司」自身の保身のためか、

「部下」に失敗させないためものなのか。

 

いずれにしても「こうしたらいいのかも?」という

「自分の考え」がちょんぎられていることに気づかないのは、

果たして本当に「良い」と呼べるのか。

 

幸いにも、以前勤めていた会社の上司は、

わたしにたくさんの失敗をプレゼントしてくださった。

 

「なんで、この案件を振るくせに、”どうすればいいのか”を教えてくれないの?」

と、いつも思っていた。22歳くらいのとき。

 

20歳のときに「金融」という未知の分野に小娘(わたし)が入り、

「会社」というジャングルに放たれて、試行錯誤する日々だった。

わたしが自発的に仕事をするようになってから、

「知識」を補うより、

「仕事のやり方」を意識するようになった。

 

「やり方」だけは、誰も教えてくれない。

 

 

「知識」は勉強すれば学べるものだけれど、

「やり方」だけは、「経験」からしか学べない。

 

わたしの前上司は、「能動促進」の番長だったのではないかとも思う。

ただし、その分、「能動的ではない部下」かからは煙たがられていたけれど。

 

「上司は嫌われてナンボ」なんて偉そうに語る人もいたけれど、

「本当の意味で”成長”を促しているからこそ嫌われる」と説明できる大人は、

一体どれほどだったのだろうか。

 

今、あらゆるモノごとに、「本質は一体なんだろう?」と問いかけられる成長をくれたのは、

前職にすばらしい上司に巡り会えたから。

 

話が脱線してしまったけれど、

そんな「本質を探る」ということを意識するたびに、

「消費」して終わるという日常がとても怖くなっていった。

 

彼氏や、旦那が大切なのは良いことだけれど・・・

 

この歳になると、「恋愛」や「結婚」の話が飛び交ってくる。

それはそれでもちろん良い。

 

「恋愛」について語らうと、

「彼氏」の愚痴や、「結婚」はいつになるのかとか、

誰々が別れたとか、誰々が同級生同士で付き合うとか

そんな話もまあまあ面白いけれど、

「もっと他に話したいことはないのかな?」とか思ったりする。

 

その人の「わたしはこうしたい」という話が聞きたい。

もちろんたまには、愚痴ったりしたっていい。

 

「結婚」だってそう。

「旦那」の愚痴や、「子供」ができないとか、

誰々ちゃんの噂話とか、他人の話ばかりに偏ってしまう。

 

それは、「固定コミュニティー」に浸かっていると、

”ふつう”の立ち位置に自分が属してる安心感があるからなんだと思う。

 

わたしはむしろ「固定コミュニティー」の方が苦手だ。

なぜなら、人は変化していくものだから。

 

”ふつう”なんて変化して当たり前で、

「ずっと仲良し」なんて言っている方が違和感がある。

 

今でこそ、そんなことを言えるようになったけれど

違和感に従って、関東の「固定コミュニティー」からはずれた当時、

疎外感がなかったとは言い切れない。

 

少しばかりさみしさはあったけれど、

「違和感のあるコミュニティー」から脱出すると、

「求めているコミュニティー」と勝手にマッチングする。

 

そして、「コミニティー」とは

自立した人の集まりに「名前」がついた仮称であってほしい。

 

言うなればいつ解散してもよいし、

集まらなくてもよいという程よい「集い」が、

人の「選択」を促すものとなるのではないかと思っている。

 

その集団がいないと、自分の足で立てないほど入り浸っていたら、

宗教に近くなってしまう。

 

なんてことを考えているわたしは、ふらふらした旅人の方が合っているのかもしれないな。

けれど旅行が苦手なのは、「日常」を「否定」している気がするからなのかもしれないな。

 

そんな感じのお年頃です。

これからブログをもっと書けるように、さらっと書きたい今日この頃です。

広告
画像

他人「任せ」にしない。けれどもお互いの長所を「頼り」あって、地域づくりをする。

「すごいね」と言われるたびに、泣きそうになる時がある。

「かがやいてるね」と言われるたびに、「そんなことないのに」と思う時がある。

「行動力があるね」と言われると、空回っている自分がやるせなくなる。

 

それは「自分自身への評価」と「周囲との評価」のギャップに苦しんでいるから。

わたしは、自分が「すごい」とか「かかがやいてる」とか、未だ、思えていない。

日々失敗と、反省と、ドジばかり。

なんでこんなのもできないんだろう。と焦るばかり。

 

「あぁ、また嫌われたな。」とか。

「あぁ、あの一言余計だったな。偉そうにいってしまった。」とか。

「人見知りを理由にして人付き合いを避けて情けないな。」とか。

誰かに傷つけられることより、自分で自分を責めて傷つくことが9割方と言える。

「傷つく」のなれの果てはただの自己否定。

 

けれども、それがまるまる、今の自分。

「自分探し」なんてものも、とうに終わって。

自分を受け入れたいけど、受け入れられない境地で日々自分と向き合っているから、探すという名ばかりのかくれんぼゲームからは脱して。

生きていく上で、ヘマする自分をいかに受け入れられるかで、空も、山も、虫も、人も、何もかも違ってくる。

自分が好きだと、愛情が内側から外側へ注げるようになる。愛情は自分というコップからあふれると自然と自分以外のものに注がれる。

内側が空っぽだと、「誰かのため」なんてのは、すぐに干からびていってしまう。

IMG_4009

 

 

「がんばっているのを知っているよ。」とやさしく、背中を押してくれる。

 

ここまで上の文は、数時間前に書いた文章で、どんよりしていた。なぜならモノゴトの振り返りが悲観的になっていたから。

けれど先ほど終了した、「田毎の月の反省会」兼懇親会に参加してきて、すっかり気持ちが変わっている。

飛渡地区の三ツ山集落の方達が集まっていて、田毎の月の次年度の運用について、2ヶ月しか移住していない自分が声をあげさせてもらったら、柔軟に耳を傾けてくださり、「あぁこの方達は未来をみつめているんだなぁ」と感じた。

 

あるおじいちゃんが素敵な言葉をくれた。

「あなたはすっごく、がんばりやさんだ。噂で聞いているよ。すごく期待しているんだ。うちにおいで。昔話を聞かせてあげる。」

なぜだか泣きそうになる。認めてもらえてるんだ。

忙しない日々の中で、「がんばる」と「無理する」の境目が未だによくわからないけれど、今の自分に対して愛しく思えた。

IMG_4736

 

また、別のおじちゃんも背中を押してくれた。

「あなたに初めて会った時、以前住んでいたあの彼女と同じだと思ったよ。彼女は誰に何を言われてもやりたいことを貫き通してね。ほんとうによくがんばっていた。”疑問を声にあげる”と仲良しの輪からは、はじかれるときがある。自分も惨めな想いをしたんだ。」

間が空く。

「きたばかりのあなたにいっていいのか迷うけれど・・・。」

あぁ。ここで会話を紡がなければ、この方の「本音」がどこかに消えてしまうと思った。

 

「いいんです。いってください。」

そう言って、3秒ほど、言葉が紡がれるのを、待った。

 

「・・・意見を言わないことはね、平和なのかもしれない。けれどね、声をあげる人が、”あいつは反抗的なやつだ”と言われる風潮は、違うと思うんだ。反対されても、議論することは大事なことなんだ。だからあなたはやりたいことを貫き通していいんだよ。そんな風潮を変えていってほしいんだ。もちろん、誰かには嫌われるかもしれない。だけど、あなたの志を貫いてほしい。村の人すべてにいい顔していたら、あなたのやりことできなくなっちゃうでしょ。やりたいことやればいい。あなたには以前いた彼女と同じものを感じるんだよ。」

 

まっすぐなボールだと思った。嘘のない、「希望」が乗せられていた。

同時にこんなボールを受け取れて、光栄だな、と思った。

この土地に2ヶ月しか住んでいないし、その場で語りあった方達とは何度か面識があっただけで、しっかりと話したこともなかった。

それでも、空気や、言葉や、意志が、数時間の間で伝わっていたんだと思うと、勇気をだして「伝える」をやってよかったな、と心から思った。

 

農業はできないけれど、農業を伝えるお手伝いはしたい。

 

わたしは、協力隊としてやりたことがかなり固まっている。それをいろいろな人にお話させてもらっている。アドバイスをくれたり壁にぶちあたったり、そんな毎日。

飛渡地域は「食」や「農」に対して、とても魅力のある土地。

けれどわたしは「農業」をやろうと思ってきたわけではなく、外仕事も苦手。

「農業やりにきたの?」と聞かれ、「いいえ」と答えたその後の寂しそうな顔をされるのが、心がチクリとしたりもする。

だから、自分の気持ちは伝える。中途半端は気持ち悪いから。

「わたしには農をやる技術はありませんが、みなさんは技術を持っています。わたしはその技術や、農を伝えたり、売るお手伝いをしたいと思っています。」

そう伝えると、途端にみなさんの顔が華やぎ、いろいろな希望や夢を伝えてくださる。

お米についてのこだわりや、村のビジョン。

飛渡全体を元気にしたいのはもちろんだけれど、まずは自分の村を元気にしたいと熱く語ってくださる。

その思いに対して、「こんな方法とこんな方法がありますよ」と提案すると、「あぁ、そんな方法もあったかぁ」と柔軟に耳を傾けてくださる。

わたしのような移住二ヶ月の24歳の小娘の言葉に耳を傾けてくれるほど、「村を愛している」ことが伝わって来る。

IMG_4616Photo by Hattori 田毎の月観月会

 

すべてに良い顔はできないから、自分の志と重なる部分と全体的な視野を

 

最近は「ただの飲み会」から「本音を聞き出す飲み会」にシフトしたいと思って、コミニケーション方法を試行錯誤しており、飛渡全体の方々が、様々なビジョンや想いを語ってくださる。

「実はこう思ってるんだよね」そんな言葉がもらえると、うれしい。

「これなら、任せてほしい」と頼らせてもらえる力をいただけるのも、うれしい。

飛渡地区は14集落あり、任期中に自分のやりたいことをやるためには、すべてにいい顔できないけれど、その村の方達の想いと自分の志(やりたいこと)の重なる部分が見つかると、あしたもまた頑張ろうと思える。

 

何かを「変化」させるのは、エネルギーがいる。

 

その「変化」を求めなければ、エネルギーはいらないかもしれない。

それは「楽」かもしれないし、「平和」と呼ぶかもしれない。

けれど「変化」することを、「決めて」いるから、

壁にぶち当たったとき、「じゃあどうすればいい?」

そんな思考パターンが「当たり前」になる。

 

ゴールに向けての「点」ならば、乗り越えることを考えるのが「当たり前」

弱っても、迷っても、芯がブレない人間になれる。そんな土地に足を置いた。

 

他人「任せ」にしない。けれどもお互いの長所を「頼り」あって、地域づくりをする。

この集落はそんな他人と、自分の役割の線引きと、チームワークを大切にしながら、「希望」に「変化」を望んでいる。

 

「しがらみ」「伝統」「常識」に固執する人は、田舎では珍しくないけれど、

「尊厳」も大事にしながら、「新しい風」も取り入れる。

そんな柔らかさを感じる、日だった。

昼間の暑さからがらりと変わって、冷涼な風も吹き、干からびていた大地に恵みの雨が降りだした今夜。

 

頼られると「やること」レーダーがグイーン、と自分キャパをオーバーしてしまうことが悩みだけれど、転びながら、頼りながら、気付きながら、変化を楽しみながら、進みたい。

あしたはツリーハウスを村の方にご紹介いただけることになったので、下見にいってまいります。

 

やることが盛りだくさんで、何やらまたすぐにでもキャパオーバーしそうですが。。。

歩きまっせ。

 

 

画像

地域おこしの最果てが「移住者の奪い合い」にならないために、ひとりひとりが「自分のしあわせ」と向き合うこと。

昨日はこんな話をした。

「村の存続が、”地域おこし”なのか?”幸せな村の閉じ方”も考えるべきじゃないか」って。

いわゆる、「村を失くさないために、人口流動(移住者を増やす)で限界集落を立て直すことが”地域をおこす”ということなのか」という疑問を、ご飯を食べながら「うーん」と唸りながら、話していた。

十日町に暮らすちょっと前に、ココロココ主催の「多拠点ワーク」がテーマのイベントに参加し、多拠点をライフワークとしてすでに取り入れている方たちが登壇していて、ズシンとくる言葉があった。

「地方が活きるために、村を閉鎖することがこれからの答えになるんじゃないか」と。

十日町に住んでいなかった当時はその言葉の意味が、全くといっていいほどわからなかった。

無知というのは、否定も肯定もできない怖いこと。青と赤という定義を知らなければ、信号の青(すすめ)と赤(とまれ)の意味が理解できないのと同じ。

そのズシンときた言葉の意味が、青や赤に当てはめられないくらい、理解できなかったわたしだったけれど、頭にこびりついてとれなくて、十日町にきてからも考え続けていた。

IMG_2975

「殺生は良くない」と言いながら、「命をいただく」矛盾。

 

この土地に住んでから、「矛盾」と向き合うことが多い。それは、「自然」や「人」との接点が都会より濃くなったから。

その「矛盾」を言語化するならば「殺生は良くない」と言いながら、「命をいただく」ということ。生きていくために「絶対にしなければいけない」ことなのに、人間には「感情」がある。「愛情」がある。命に対して「慈しみ」がある。

人は「それら」があるから美しい。けれども「生きていくため」には「それら」が「矛盾」になる。

やっかいだなぁとも思う。その生じる摩擦が、脳みそを稼働させ、「知恵」を生み、「哲学」を生み、「正義」を生む。やがて「個性」にもなる。

わたしたちは生きているだけで「矛盾」と常に手をつないでいる。「生きること」というのは常に「思考」と「自分との対話」の繰り返し。

人の「オーラ」がそれぞれ違うのは、その「矛盾」と繰り返し向き合ってきたからなんじゃないかって思う。今日はその「矛盾」と今一度向き合ってみたい。

IMG_2971

人は「思考」があって、「自分との対話」ができる生命体であること。

 

都会では「働かないと生きていけない」という漠然とした恐怖が、人を半ば強制的に「労働」へと導いていた。当時を振り返ると「生きていく」ということが、「狭い意味」でしか捉えられなくなっていて。

ご飯を食べて、睡眠をとって、趣味というものがあって、それらを賄うために働いて。全てを循環させる大元のエネルギーの基準は「お金」だった。

いつも目的は「お金」をいかに使うか。「お金」から枝分かれした先に「生活」があった。「生活」のための「手段」が「お金」なのに。

「創る」ことを忘れ、ひたすら「消費」するだけの生活だったから、心はどんどんと死んでいった。「消費」にひたすら依存する世界に入り込んでいったから、「子供心」という「創造と想像を好奇心だけでやってしまう」無垢なものから遠ざかり、「大人」にもなりきれない、生き物だった。

わたしたち人間は「思考」があって、「自分との対話」ができる生命体。地球上で唯一だとすら思う。(もし他の生命体であったら教えてください)その「人間としての機能」は「何かを生み出す」ことが本能的な喜びなんじゃないかって。

俗にいう「クリエイティブ」はなんだかオシャレな「呼称」だけれど、「クリエイティブ」という言葉はもっとハードルが低くなればいいのになぁ、といつも思う。突き詰めると「クリエイティブ」はスポットライトが浴びるようなキラキラしたところだけでなく、「地味」で「孤独」な作業の繰り返しだ。

こうして、「思考」を「言語化」するのも「クリエイティブ」であって、「自分で何か生み出す」ことが「個」を成していくんだなぁと思う。こうして文章にすることは「パソコン」と「自分との対話」だから正直、ものすごく孤独だけれど。それも何時間も気が済むまで。

IMG_3938

東京に住んでいると、「お金」があれば大半のことが「なんとかなってしまう」

 

不幸なのか幸なのか、いまだにわからないけれど、都会の人の大半の価値基準が「お金」だったから、野菜の生産者さんの顔を思い浮かべるというのはほとんどなかったし、「お金」があれば、不便さも、生活も、”お金でなんとかなってしまう”ということが、「当たり前」だった。

手間暇かかっているものを見ても「ある」としか感じなかった。その物質の「なぜ?どのように?ここに?」の疑問をショートカットさせる。「ひとりでどうにかして生きてる」勘違いもよくあった。だからこそ常に言い知れぬ寂しさと向き合ってはいたけれど。

情報量の多い現代では「捨てること」「ミニマム」などがやたらと流行るけれど、「疑問のショートカット」は人間の本能を衰退させる怖いものだと思う。

わたしが「疑問」に素直に向き合うようになったのは、自分が生まれたことをただただ肯定したいという気持ちの行き着いた答えで、「疑問」は自分を「肯定」させる大切な宝になった。

「体験」「感動」「出来事」「人」に、視点が傾き、「何が”自分にとって”楽しい生き方か」に真剣に向き合うようになった。「自己完結型」から、自分以外の外側から「学ぶ」というスタンスへとアンテナが変わっていった。

お金が発生しなくても「自分」のアウトプットと、「読んでくれている人が何かを感じてくれていること」が「自分」のためになっている。「人のため」という「きれいごと」でまとまらないことが嬉しい。もっと「自分」のために生きることは貪欲でかまわないという許可が、わたしの「生き辛さ」を癒していく。

「仕事を創る」という方向性もこの延長線上にあるんだろう、と思っている。「お金」から枝分かれしていたものが、枝分かれしたものの後に「お金」がついてくるようになる。

「七転び八起き」を楽しむこの土地から、わたしの視界がよりクリアになっていく。

本質的な願いはだんだんと「個が互い違いを尊重できるように、能動的に。」が濃くなっていく。

 

「限界集落」の脱却が”地域おこし”なのか?

 

本題に戻ってみる。

「村を失くさないために、人口流動(移住者を増やす)で限界集落を立て直すことは、正しいあり方?」

高齢化、少子化、人口減少。この三重奏が日本の時代を変化させていく。わたしはそういった社会構造の勉強は中学生からストップしている。興味のあることしか勉強をしたくなくてバイトばかりする「わかりやすい」しくみにすぐ食いつくような性質で「意識高い系」と呼ばれるものとは疎遠だったから。

(余談ですが、トンがった靴を履く人も未だに苦手。)

けれど、この仕事をしていると社会構造を数値化したりすると、いろいろな発見があっておもしろいから、人口資料とかちょっとした論文を少し覗くようになった。

現在地域おこしで注目されている事例が「限界集落」からの脱却。


▼限界集落とは

山間部では集落を構成している人口の50%以上が65歳以上で、農作業や、冠婚葬祭などの集落としての共同体の機能を維持することが限界に近づきつつある集落と呼ばれたりする。


 

わたしの住んでいる飛渡地区の池谷集落がまさにこの事例。

十日町市地域おこし実行委員会 池谷集落HP

目に見えてわかりやすい数値化されたもので挙げるとすれば、「出産」「子連れの移住者」による「高齢化」の「平均年齢下げ」。

池谷集落は、そんな表面的な事例だけがスポットライトを浴びているわけではなくて、「村の人の想い」が「実現」していっている結果が、「限界集落」の脱却だったということ。

それが、「地域活性化」に至っていたということ。

IMG_4334

集落のそれぞれのカタチにあった”地域おこし”を

 

つまり、「村の人の想い」は様々であって、「村の存続を望んでいるのか」というところが大前提だということ。そして「存続という形は、一体なんなのか?」というところに矢印を向ける。

「この村にある資源に触れて子供が育って欲しい。わたしもここで育ったからこその今があるから。」→だから、移住者や子供が増えて欲しい。

「この土地の農業や伝統をつないで欲しい。自分の愛する土地を継承して欲しいから」→だから、若い人に来て欲しい。就農者や雇用を生み出して欲しい。

「人は住んでいなくても、景観だけは残していけるよう土地のサポートやインフラを整備して欲しい。」→だから、経済潤沢や、外部の支援が欲しい。

村の数だけ答えがあって、人の数だけ想いも変わる。”地域おこし”の「事例」はコピーや真似っこだけで形を成すかというとそうもいかないから、その土地に暮らす人の「望む形」と「広い視野」が必要になってくる。

 

地域の人が「村の存続」を望んでいなかったら?

 

例えばこんな話があったとしたらどうするだろう、と考える。

「身体が不自由になってきたから、病院へいく交通の便のサポートを頼みたい」こんな声が増えたとして。そこは限界集落で。

けれど村の方達は自分の村に愛着があるわけではない。引っ越す土地もないし、もうここで「生涯を終えるしかないから」という「やるせない」想いがあったとする。

そういったとき、この村の方達の「交通の便のサポート」だけで終わっていくのならば、病院のある市街に住まう制度を発足し、「村の閉鎖」が結果として、「村の人たちの人生を豊かにする」という答えがあるのかもしれない、と思ったり。

また、人口減少の時代、誰かが移住すれば、移住先は豊かになるかもしれない。けれど日本全体で見たら、移住前の土地には穴があくことになる。(都会は人口が突出しているから話は変わってきてしまいますが)

そうなってくると「魅力見せびらかし合戦」で「移住者」の奪い合いをしてしまったら、日本全体で見たら「未来につながるカタチ」になっているのかよくわからなくなる。

 

だからこそ、「自分」のしあわせの「あり方」と本気で向き合う時代へ

 

そう、いろいろ考えていくと解けた知恵の輪は、何度も何度も絡まったりする。何度も矛を持ち続け、盾で身を守り続ける。「矛盾」はそっと、寄り添い続ける。人に「思考」がある限り。

地域おこしの最終的な形は「人がそれぞれの幸せを自分で選び、見つける」ことの手段が「土地に住む」ということにつながる時代に促すことが大事なんじゃないかって。何十年後かには地域おこし協力隊がなくなる世の中へ。(自分の仕事なのにこんなこと言ったらこれこそ矛盾・・・?)

 

「心の声」に敏感になること。既存の形にとらわれないこと。その芽を育てること。

共に「考える」教育の部分。能動的に動く「自立」。何回転んでも、何回でも人生立ち上がれるんだっていう背中たちが教えてくれること。

「職業を選ぶための学校」という手段から「自分という資源の生かし方がわかってくる学び舎」へ。「与えられること」を体育座りして待つことから「自分も人に与えることができる」というしなやかな人間へ。

 

最後に

 

いろいろと深く考える今日だったけれど、ふと、ひとりで暮らす家の寂しさに冬は大丈夫だろうかと不安になったり。都会の時のアパートとは違う寂しさが、襲ってくる。

そこにパン工房ビットのオーナーである、友達のたーさんが新潟市に友達のケーキ屋さんに遊びにきているらしく突然会えないか連絡が入る。「こら、前日に言いなさい」と思ったが、彼女らしくて笑えてくる。

仕事の調整ができなくて結局会えなかったけれど、無邪気な写真がきて癒される。

S__10600657

 

「写真使ってもいい?」と聞くと、「他にもあるから」と何枚も送られてきてふとまた口が緩む。

S__10600658

S__10600659

ありがとう。たーさん!