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いつも「しあわせ」で「いなきゃ」いけない世の中なんて、ポイズン。

笑い声が、お腹の底に響く快感。

女の子だったら、コロコロ笑う方がきっとかわいい

わたしが腹の底から笑う時は低い音で、ガハハ、とか、ケタケタ、とか、女の子らしくない。

笑い声に自分で色付けようとした時点でそれは「腹の底から笑う」ではなくなってしまうので、それはそれで良しとして。

 

山々の緑から感じる、生命の息吹を背にし、大都会東京を駆け抜け、1ヶ月半ぶりに千葉にいってきた。

 

「なんかいいなぁ」と思う空気を食べられる十日町から離れると、いつも学びが多い。
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「便利が当たり前」がしあわせか、「不便を武器に変える」前向きさがしあわせか。

 

東京は、やっぱり落ち着かなかった。
アスファルトの硬さに妙に違和感があった。

 

大都会東京のメニーメニーピーポーに圧倒されながら、
赤ばかりの信号に十日町の道路の快適さを思い出す。

 

某デパートで着飾った人たちがわらわらと交差する。
ファッションを言葉巧みに売る綺麗なちゃんねぇ。
髪を金色に脱色してガニ股で歩く中高生たち。
赤いリップをこれでもかと白肌を際立たせる流行りメイク。

 

パッツン前髪から毛虫のようなものを這わせる日本人の顔の活かし方はわたしにはやっぱりよくわからない。

 

なんだか別世界にきたような気がした。
十日町の人口密度に慣れたのか、「長くはいれない」と思い、目的の店に急く。

 

田植え真っ盛りなこの季節。
自然との共同戦線が開始されている現在の十日町の風景に癒されていたこと。

 

アスファルトとビル街が当たり前の都会との落差に、私たちはテクノロジーとちゃんと手を繋げているのかよくわからなくなる。

 

人間は元来自然と共存して時代に子孫を残し続けてきたのに、東京に来ると何故だか生きた心地がしなくなる。

 

早く十日町に帰りたい気持ちが、より一層心を染める。
東京や千葉に来ると心が弱くなる。
ギュッと心が硬くなる気がする。
鳴り響くサイレンのこだまが頭に入り込んでいた。

 

インプットとアウトプットとはまだまだ仲違い

 

 千葉につき、買い物を済ませ、地元の高校時代の先輩と近況報告をしあう。
結婚生活も山あり谷ありみたいで、楽しみながらも働き方を模索している様子だったけれど、いつも心配はしない。

 

なんとかするし、なんとかなるから。
相談も聞くし、相談もする。気がむいたときに。

 

そんなユルい関係が心地よい。

 

女性同士の「グループ感」とは高校時代から疎遠だったから、カラッとした関係が好きだ。
 

お腹を満足させて、お互いの健闘を祈って手を振った。

 

そんな帰り道、ボーッと考えながら運転して実家にたどり着いた後、ドッと疲労が押し寄せ、視界がまどろみながら、日々の忙しなさに追われ、インプットしたことを言語化できていないなぁ、と思った。

 

自分の中に存在する矛盾が、もののけ姫のおっことぬしさまのように肥大化していたことに気づく。

 

地域づくりに関しての志の部分。
具体的な仕事の着手。
取材させて頂いた方たちのこと。
詰めて詰めて詰めていた。

 

インプットの量だけが蓄積され、
アウトプットに対して疲労がモヤをかけてしまっていること。

 

その矛盾に、自分をチクッと刺したりする。
肯定の中に矛盾が入ると、やはり自分に対して厳しくなってしまう。

 

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「思考は現実化する」は、イヤなことも、素晴らしいことも同じ
 

ひとつの恋愛を終えてから、自宅にいることがほとんどなく、1日を24時間に解体して、仕事を組み込ませ、なんとも極端なライフスタイルを「自分で選んで」「忙殺」しようと企てている自分に「またか」とため息をつく。

 

時間の余白を「心地よい」にできないこと。
「ひとり」を感じたくないために、時間を駆け抜けること。

 

ふと目線を変えると車内のカーナビでお笑いのいとうあさこ氏が「孤独なれしろよッ!」という言葉を発していて、なぜだかどこかで見られているような気がした。

 

そんなドキリとした心情に、わらけてくる。
わたしは「孤独なれ」がいつまでも卒業できない。

 

仕事を根詰めるクセが出てくる時は、そんな弱い自分を直視できてないとき。

 

こんなマイナス面を掘り下げている時は決まってチクリチクリとする出来事が連鎖する。

 

24年の歳月を重ねた今、出来事はいつだって心のめがねに左右されるのだと痛い程わかってきた。
思考の現実化というやつの自己啓発本の類も何度となく読み漁ってきた。
今自己啓発本をあまり読まなくなったのは、アウトプットをインプットに比例させたかったから。 
 

マイナスなことを考えていると、イヤな出来事も引き寄せる必然。
いつもハッピーでいられるわけではないと思う夜だった。

 

だけどなるたけ、心のめがねはぶれないようには意識しなければと踏ん張る。
「楽」の文字がいろんな言葉と混ざり合う、心地よい時間の割合を多くするため。

 

 

本来の自分を偽りなく発信すると「”ちゃんと”嫌われる」

 

インターネットがこれだけ普及した時代でメンタル面を発信媒体に体現化するのは、自分の軸を自分で支える支柱を作る必要がある。

 

Facebookのイイね!の数
投稿内容の賛否

 

それらに振り回される自分がいると、「本質からズレてるなぁ」と疲れてきたりする。

 

イイね!が主軸ではないし、賛否の「否の正義」のスポットライトはやけに眩しくて目がチカチカする。

 

ブログをやっていると、たまに心ないコメントも頂いたりする。
人の不幸に敏感な人が、実家に「心配」と称した「おせっかい」をして、一問着あったりもした。 

それだけ、Facebookやブログを読んでくれている方がいらっしゃることを忘れてはいけない。 

情報リテラシーの意味でももちろん。

 

常に言葉には気をつけるように心を込めてブログを書いているけれど、たまに指摘をいただいたりして、クヨクヨしたりして。

 

「おまえはそれでも発信し続けるのか?」と自分に何度も問うたりする。

 

それでも答えはいつだって「イエス」でしかないのは、好きな人たちの顔ぶれが思い浮かぶから。 

「こんなに素敵な人、コト、モノたちを一人でも多くの人に伝えたい」という、原動力が尽きることがないから。

 

自分のアウトプットの形に誇りを持ちたいから。

 

誇りを持ってからアウトプットするのではなく、アウトプットして紆余曲折ありながら少しずつ誇りや自信を肥やしていく。

 

そんな仕組みは、味をしめるとやめられなくなる。
「行動」するのはおもしろいって、出来事に遭遇するたびに脳にインスリンがぶわーっと広がる。 

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匿名性は人を弱くも強くもする、心を丸裸にするツール

 

Facebookは「匿名性」が皆無だから、炎上しにくい。

 

人は「匿名性」の仮面をかぶると心の弱い部分が変化して、攻撃的になったりする。
(ヤフーニュースのコメント欄とかこわすぎます)

 

SNSはしあわせになる「フリ」が得意になると、誰かが名言を言っていたけれど、本当にその通りで。

 

ある意味ではそれを「強さ」と呼ぶかもしれないし、
ある意味ではそれを「虚勢」と呼ぶかもしれない。

 

わたしたちは、そんな物事の両面の意味を見据えて、オセロゲームがひっくり返らないように、自分なりの白と黒の意味を見つける必要がある。

 

白だ、黒だ、と正義を振りかざすのは簡単だけれど、両面を見ながら物事を導き出すのは、ある程度の冷静さと、器量がいる。

 

自分は白だと信じていても、黒だという人はごまんといて。

 

黒も存在していいし、
グレーだっていい。

 

信じ込んだものの裏側を否定しない自分でありたい。
これだけは、絶対にブれない軸にしようと思っている。

 

誰かのためじゃなくて、「自分が」やわらかく、自由でありたいから。

 

居心地の良い十日町から離れることで見える魅力。

 

十日町から離れるたびに、十日町の良さがどんどんと見えてくる。
十日町に定住することだけが、十日町の愛し方ではなく、いろんな十日町の愛し方がある。

 

「こんななにもないところはいやだ。」と、

 

十日町から離れた若者。
これから離れる若者。

 

彼らは際限ない希望だと思う。

 

「あそこにはたくさんあったんだ」って気づく人もいれば
「やっぱりあんなとこ出て行ってよかった」と思う人、どちらも正解であって。

 

これからの十日町にはUターンの人の流動と移住者が起こす旋風はとてもスパイシー。

 

外(都会)の視点と中(十日町)の視点の重なる部分を、Uターンの人は鋭く見つけられるし、 

古と新を調和できるのがIターンの人の得意分野。

 

Uターンの人は、「地元に帰る」ことの少しばかりの違和感や抵抗もあるし、
Iターンの人は、「土地、人を知る」のに時間がかかるという側面もある。

 

今の十日町がおもしろいのは、そんなスパイシーな風をやわらかく包み込む、
土地に根を張っている人たちの「地元愛」の三つが混ざり合っていること。

 

最後に

 

わたしは正直、実家が未だに苦手です。
また、千葉では苦しい思い出が頭をよぎることも多くて疲れてしまったりします。

 

けれど新潟に住んでいるからといって、「逃げる」ような向き合い方は嫌だなあと思っていて。 

なんだかんだと時間が作ることができなかったのと、気に入った花がなかったこともあって、 

母の日に郵送できなかったあじさいが、ずっと心の奥底で霞んでいたこともあり。

 

わたしが新潟に来てから、母の体調は悪くなる一方だという気がかりなこともあったり。
十日町から千葉にいざとなったら帰れるんだという自信もつけておきたかったり。
書類を取りに行きたかったというのももちろんあったり。笑

 

津田沼駅(地元の駅)で買った、気に入ったあじさいを渡したら、やっぱりうれしそうだった。 

実家の滞在は睡眠含め、9時間。
1時間ほどしか話ししていません。

 

けれど、まあ、愚痴ばかりを聞くことや、やせ細っていく母を見るのはちょっとしんどいからこのくらいがちょうどいいかもしれない。

 

「十日町から離れて、十日町の良さを見つめ直す」を定期的に感じたいと思うので、これからも十日町に住みながら、いろいろな土地に足を運びたい。

 

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