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能力の限界は希望であって、限界を知ることで「やりたいこと」の叶えるスピードが加速する。

「時間が足りない」といつも思ってしまう程、1日を駆け抜け、気づいたら夜を迎えている。自分の中では戦略的に動いているつもりが、から回ることがたくさんあって、腑に落ちないこともたくさんあり、反省する日々を繰り返している。

けれども、楽しいことの割合の方が圧倒的に多くて、関東にいた頃より「こうなりたい、こうありたい」というものが、より明確になったことで「有意義」という言葉の意味に納得できている。

実現できるという自信が100%あるかと問われたら、首を縦に振ることに不安はあるけれど、協力隊の仕事と平行線で「本間小百合の人生」のビジョンの方向性もざっくりと決めている。

就業せずに、起業すること。

自分の得意なことと好きなことを死ぬまでやり続けるために、「起業」が手段だと思った。

わたしはこの町に来て、本当に変わった。

 

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自分を愛したいし、可愛がりたい。

 

「起業する」なんて関東では絶対に口には出せなかった。会社に属す道に安心感があったし、自分で事業を回すなんて自信もなかったし、「達成できなかったこと」のイメージが大半だったから、心のタンスに大事に大事にしまっていた。

東京という人口密度は、「比較」で生きることを頑張れた特殊な土地だったし、「比較」でエネルギーを消耗する逆も然り。

人が密集しすぎると、「多数決」が採用され続け、「少数派」は「変」という扱いにされがちだったから「心を隠す人」が増え続けるんだろうと思う。「心を開く」ことが人生をより良くするものなのに。

また「起業」への道のりは、ビジネスの方向性を常に考え続け、それに見合ったインプットとアウトプットを任期中にひたすら繰り返し、お金の循環を自分で作り出して、自分で責任を持つことが大前提。

こうして言葉で表現したら堅苦しいことのように思えるけれども、自分の中にある芽をどうやったら育つのか、どうしたら花が咲くのかという、人間として「当たり前」の根底の部分と対峙する作業を繰り返し行うシンプルなこと。

そのためには好きなことと、生まれ持った得意なことをやり続けること以外の方法が思いつかなくなってきたからこの答えに至ったのだと思う。

 

「好きなこと」と「才能」は別物であること。

 

前者は「ついやってしまう」こと。後者は才能と呼ばれ「意識」しないでもできてしまうこと。

「ついやってしまうこと」と「才能」が重なるときのパワーは、人をとてつもなく輝かせる。そこを見つけることが楽しくも困難でもあるかもしれない。

生きていく中で、「才能」と「好きなこと」の重なり合う部分が一生同じとは限らないから、見つめ続けることで「変化」という名の成長ができ、「変化=気づき」は自分の心と常に対峙すること、出来事に対峙することで収穫ある実りだと思う。

「才能」を優先するときもあるかもしれないし、「好きなこと」を優先するがために苦しいこともあるかもしれない。

逆上がりを1000回やってもできない子が、鉄棒が大好きだったら、1,001回目でできるかもしれない。

それを「苦しい」と呼ぶのか、「楽しい」と呼ぶのかで、人生は180度変わるんだろうなと思う。

それだけ「好き」の熱量はすごいし、「才能」は自分発掘をしていると、いくつも原石があったりするとてもおもしろいもの。

仕事を「創る」にあたって、「好き」と「才能」の重なる部分を探り続けることと、それを「お金」として価値を生み出すことは、なんだかとてもワクワクする。

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「好きなことがわからない」は本当?

 

「好きな自分でいつまでもいたい」というシンプルな願いが、消去法という方法で「仕事を自分で創る」という道を歩かせる。「あぁ、これを進むか、進まないかだけだったんだなぁ」と十日町に来て、思う。

よくこの道が、「わからない」と相談されることがあったし、関東に住んでいた頃はわたしも「わからない」側の人間だった。

なぜ「わからない」側だったのかと思い返してみると、「進みたい道」はわかっているのに、ただ怖くて「進めなかった」だけだったから。

また、「あいまい」ということが「いけない」ことだと思っていたから。

「あいまい」につきものなのが知識、技術、自信がないと「その道に進むことはタブー」と自分に刷り込み続け、「本当はこの道に進みたいけれど3点セットのどれも欠けているから、”とりあえず今のまま”でいいや」と惰性に甘え続ける。

”とりあえず今のままでいい”は、「楽」に変換できる都合の良い言葉だった。

3点セットは、”とりあえず”にドンドンと吸収されて育たなかった。

結果として「好きなことがよくわからない」と言っていたいた方が、「保身」には都合が良かった。「好きなことで食べていけたら」は、言ってはいけない気がした。「あいまい」だったから。

今では「あいまい」なままでいいから、「やる」と決めている。

3点セットは「やる」の後にしかついてこないと気づけたから。人に「あなたは何がやりたいの?」と言われ続けても、道の途中だから目の前の自分で決めてやることに全力で取り組めばいい。

その繰り返しの先のビジョンを「願う」のではなく「信じて」あげることを大切にしている。

今はこれが「自分を愛す」ということの位置付けなのかもしれないと思っている。

 

「仕事はどんなことをしてるの?」困ってしまう、その質問。

 

「仕事は何をしているの?」

こんなよく投げられる球に素早く投げ返したいと最近はよく思うけれど、ひとつの回答にまとまらないと「優先順位がつけられていないんだな」と落ち込むこともしばしばある。

「地域に入る」が今は仕事だから、例えば「高齢者サロン」のようなものに顔を出すのも活動のうち。

けれどなんとなく「目に見える形の仕事」として説明ができないのが、なんとなく悔しい。そんな悔しさに相まって、「説明できる仕事」をなんとか作ろうと自分を追い込み続ける。

 

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若手農家さん取材風景

 

たぶん協力隊に入ったばかりの人の多くが、そんなもどかしさを感じているのではないかとも思う。

「焦らないでいいよ」という言葉の「やさしさ」を感じつつ、1ヶ月、2ヶ月という時間がとても早く過ぎていくので、「目に見える形」に早く変換したいから仕事を頑張る。

ただ、「目に見える形」を焦りすぎると、「地域に溶け込む」というバランスを見落とすから、今はその中間地点を手探り状態。

 

自分の限界を知ると、人に頼れるようになる。

 

思ったより早くビジョンが出来上がったので、「協力隊としてのわたし」と「ただのわたし」のふたつの道はどちらもスタートしている必要があり、その道筋は、完全に分断されているかというとそうでもなく、道が交差するところもあるし、全く別の道のときもある。

 

そうなってくると、たくさんたくさんやりたいことがあって、いつも頭の中は大騒ぎ。

一見、「やりたいことがたくさんある」というのは、羨ましがられることかもしれない。けれども前記事で書いた通り、「物事には必ず裏と表があって、両面を理解して答えを出す」ということの大切さを感じている自分には、この落とし穴に、いつも落ちそうになる。

人一人の1日という時間は平等に24時間。これ以上でもこれ以下でもないのに、やりたいことと求められることの優先順位の決定を後回しにしていると、24時間を頭の喧騒に邪魔されて、身動きがとれなくなる。

だから「得意ではない仕事」は「やりたくないです」と伝えるようにしている。(トビタリの皆さん寛容でありがとうございます)

 

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チームバランスを見てくれている横澤さん

 

24時間の限りあるパフォーマンスを最大限発揮していたいし、「その仕事はわたしでないといけない」というわけではないので、かなりお任せしている。

(”チームで仕事する”という視点ではこれの度が過ぎると良くないけれど)

わたしよりすでにその仕組みに慣れている人が継続していた方が、より高いパフォーマンスを継続できるならば、基本だけは覚えて、あとは頼らせてもらっている。

 

最後に

 

自分の中でこれを「やりたい」と口に出していると、気づくとその糸口が次から次へとやってくる。本当に不思議なことで、十日町にきてから「やりたいと思っていること」の実現できるスピードが半端ない。

それは人との出会いにも起因している。人とつながることでどんどんと、具現化していく。つまり、「自分ひとりの力を過信しすぎない」ということ。

どうあがいても、わたしひとりの1日は24時間でしかなくて、ちっぽけで非力な存在だ。けれども誰かの1時間をわたしの「やりたいこと」に協力してもらったら、「やりたいことに費やせる時間」は、25時間になる。

それが一人、また一人と増えるだけで「やりたいこと」の叶えるスピードは圧倒的に早くなるのは必然で。

そんな世の理的なしくみに気づくのに、24歳になってしまい、少し遅かったのでは?なんてことも思う。笑

「ひとりでがんばらないでいいよ」というのは、「やさしさ」って呼ばれる言葉かもしれないけど、「事実」であり、「一番の近道」である素晴らしい言葉だと思う。

 

 

 

 

 

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いつも「しあわせ」で「いなきゃ」いけない世の中なんて、ポイズン。

笑い声が、お腹の底に響く快感。

女の子だったら、コロコロ笑う方がきっとかわいい

わたしが腹の底から笑う時は低い音で、ガハハ、とか、ケタケタ、とか、女の子らしくない。

笑い声に自分で色付けようとした時点でそれは「腹の底から笑う」ではなくなってしまうので、それはそれで良しとして。

 

山々の緑から感じる、生命の息吹を背にし、大都会東京を駆け抜け、1ヶ月半ぶりに千葉にいってきた。

 

「なんかいいなぁ」と思う空気を食べられる十日町から離れると、いつも学びが多い。
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「便利が当たり前」がしあわせか、「不便を武器に変える」前向きさがしあわせか。

 

東京は、やっぱり落ち着かなかった。
アスファルトの硬さに妙に違和感があった。

 

大都会東京のメニーメニーピーポーに圧倒されながら、
赤ばかりの信号に十日町の道路の快適さを思い出す。

 

某デパートで着飾った人たちがわらわらと交差する。
ファッションを言葉巧みに売る綺麗なちゃんねぇ。
髪を金色に脱色してガニ股で歩く中高生たち。
赤いリップをこれでもかと白肌を際立たせる流行りメイク。

 

パッツン前髪から毛虫のようなものを這わせる日本人の顔の活かし方はわたしにはやっぱりよくわからない。

 

なんだか別世界にきたような気がした。
十日町の人口密度に慣れたのか、「長くはいれない」と思い、目的の店に急く。

 

田植え真っ盛りなこの季節。
自然との共同戦線が開始されている現在の十日町の風景に癒されていたこと。

 

アスファルトとビル街が当たり前の都会との落差に、私たちはテクノロジーとちゃんと手を繋げているのかよくわからなくなる。

 

人間は元来自然と共存して時代に子孫を残し続けてきたのに、東京に来ると何故だか生きた心地がしなくなる。

 

早く十日町に帰りたい気持ちが、より一層心を染める。
東京や千葉に来ると心が弱くなる。
ギュッと心が硬くなる気がする。
鳴り響くサイレンのこだまが頭に入り込んでいた。

 

インプットとアウトプットとはまだまだ仲違い

 

 千葉につき、買い物を済ませ、地元の高校時代の先輩と近況報告をしあう。
結婚生活も山あり谷ありみたいで、楽しみながらも働き方を模索している様子だったけれど、いつも心配はしない。

 

なんとかするし、なんとかなるから。
相談も聞くし、相談もする。気がむいたときに。

 

そんなユルい関係が心地よい。

 

女性同士の「グループ感」とは高校時代から疎遠だったから、カラッとした関係が好きだ。
 

お腹を満足させて、お互いの健闘を祈って手を振った。

 

そんな帰り道、ボーッと考えながら運転して実家にたどり着いた後、ドッと疲労が押し寄せ、視界がまどろみながら、日々の忙しなさに追われ、インプットしたことを言語化できていないなぁ、と思った。

 

自分の中に存在する矛盾が、もののけ姫のおっことぬしさまのように肥大化していたことに気づく。

 

地域づくりに関しての志の部分。
具体的な仕事の着手。
取材させて頂いた方たちのこと。
詰めて詰めて詰めていた。

 

インプットの量だけが蓄積され、
アウトプットに対して疲労がモヤをかけてしまっていること。

 

その矛盾に、自分をチクッと刺したりする。
肯定の中に矛盾が入ると、やはり自分に対して厳しくなってしまう。

 

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「思考は現実化する」は、イヤなことも、素晴らしいことも同じ
 

ひとつの恋愛を終えてから、自宅にいることがほとんどなく、1日を24時間に解体して、仕事を組み込ませ、なんとも極端なライフスタイルを「自分で選んで」「忙殺」しようと企てている自分に「またか」とため息をつく。

 

時間の余白を「心地よい」にできないこと。
「ひとり」を感じたくないために、時間を駆け抜けること。

 

ふと目線を変えると車内のカーナビでお笑いのいとうあさこ氏が「孤独なれしろよッ!」という言葉を発していて、なぜだかどこかで見られているような気がした。

 

そんなドキリとした心情に、わらけてくる。
わたしは「孤独なれ」がいつまでも卒業できない。

 

仕事を根詰めるクセが出てくる時は、そんな弱い自分を直視できてないとき。

 

こんなマイナス面を掘り下げている時は決まってチクリチクリとする出来事が連鎖する。

 

24年の歳月を重ねた今、出来事はいつだって心のめがねに左右されるのだと痛い程わかってきた。
思考の現実化というやつの自己啓発本の類も何度となく読み漁ってきた。
今自己啓発本をあまり読まなくなったのは、アウトプットをインプットに比例させたかったから。 
 

マイナスなことを考えていると、イヤな出来事も引き寄せる必然。
いつもハッピーでいられるわけではないと思う夜だった。

 

だけどなるたけ、心のめがねはぶれないようには意識しなければと踏ん張る。
「楽」の文字がいろんな言葉と混ざり合う、心地よい時間の割合を多くするため。

 

 

本来の自分を偽りなく発信すると「”ちゃんと”嫌われる」

 

インターネットがこれだけ普及した時代でメンタル面を発信媒体に体現化するのは、自分の軸を自分で支える支柱を作る必要がある。

 

Facebookのイイね!の数
投稿内容の賛否

 

それらに振り回される自分がいると、「本質からズレてるなぁ」と疲れてきたりする。

 

イイね!が主軸ではないし、賛否の「否の正義」のスポットライトはやけに眩しくて目がチカチカする。

 

ブログをやっていると、たまに心ないコメントも頂いたりする。
人の不幸に敏感な人が、実家に「心配」と称した「おせっかい」をして、一問着あったりもした。 

それだけ、Facebookやブログを読んでくれている方がいらっしゃることを忘れてはいけない。 

情報リテラシーの意味でももちろん。

 

常に言葉には気をつけるように心を込めてブログを書いているけれど、たまに指摘をいただいたりして、クヨクヨしたりして。

 

「おまえはそれでも発信し続けるのか?」と自分に何度も問うたりする。

 

それでも答えはいつだって「イエス」でしかないのは、好きな人たちの顔ぶれが思い浮かぶから。 

「こんなに素敵な人、コト、モノたちを一人でも多くの人に伝えたい」という、原動力が尽きることがないから。

 

自分のアウトプットの形に誇りを持ちたいから。

 

誇りを持ってからアウトプットするのではなく、アウトプットして紆余曲折ありながら少しずつ誇りや自信を肥やしていく。

 

そんな仕組みは、味をしめるとやめられなくなる。
「行動」するのはおもしろいって、出来事に遭遇するたびに脳にインスリンがぶわーっと広がる。 

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匿名性は人を弱くも強くもする、心を丸裸にするツール

 

Facebookは「匿名性」が皆無だから、炎上しにくい。

 

人は「匿名性」の仮面をかぶると心の弱い部分が変化して、攻撃的になったりする。
(ヤフーニュースのコメント欄とかこわすぎます)

 

SNSはしあわせになる「フリ」が得意になると、誰かが名言を言っていたけれど、本当にその通りで。

 

ある意味ではそれを「強さ」と呼ぶかもしれないし、
ある意味ではそれを「虚勢」と呼ぶかもしれない。

 

わたしたちは、そんな物事の両面の意味を見据えて、オセロゲームがひっくり返らないように、自分なりの白と黒の意味を見つける必要がある。

 

白だ、黒だ、と正義を振りかざすのは簡単だけれど、両面を見ながら物事を導き出すのは、ある程度の冷静さと、器量がいる。

 

自分は白だと信じていても、黒だという人はごまんといて。

 

黒も存在していいし、
グレーだっていい。

 

信じ込んだものの裏側を否定しない自分でありたい。
これだけは、絶対にブれない軸にしようと思っている。

 

誰かのためじゃなくて、「自分が」やわらかく、自由でありたいから。

 

居心地の良い十日町から離れることで見える魅力。

 

十日町から離れるたびに、十日町の良さがどんどんと見えてくる。
十日町に定住することだけが、十日町の愛し方ではなく、いろんな十日町の愛し方がある。

 

「こんななにもないところはいやだ。」と、

 

十日町から離れた若者。
これから離れる若者。

 

彼らは際限ない希望だと思う。

 

「あそこにはたくさんあったんだ」って気づく人もいれば
「やっぱりあんなとこ出て行ってよかった」と思う人、どちらも正解であって。

 

これからの十日町にはUターンの人の流動と移住者が起こす旋風はとてもスパイシー。

 

外(都会)の視点と中(十日町)の視点の重なる部分を、Uターンの人は鋭く見つけられるし、 

古と新を調和できるのがIターンの人の得意分野。

 

Uターンの人は、「地元に帰る」ことの少しばかりの違和感や抵抗もあるし、
Iターンの人は、「土地、人を知る」のに時間がかかるという側面もある。

 

今の十日町がおもしろいのは、そんなスパイシーな風をやわらかく包み込む、
土地に根を張っている人たちの「地元愛」の三つが混ざり合っていること。

 

最後に

 

わたしは正直、実家が未だに苦手です。
また、千葉では苦しい思い出が頭をよぎることも多くて疲れてしまったりします。

 

けれど新潟に住んでいるからといって、「逃げる」ような向き合い方は嫌だなあと思っていて。 

なんだかんだと時間が作ることができなかったのと、気に入った花がなかったこともあって、 

母の日に郵送できなかったあじさいが、ずっと心の奥底で霞んでいたこともあり。

 

わたしが新潟に来てから、母の体調は悪くなる一方だという気がかりなこともあったり。
十日町から千葉にいざとなったら帰れるんだという自信もつけておきたかったり。
書類を取りに行きたかったというのももちろんあったり。笑

 

津田沼駅(地元の駅)で買った、気に入ったあじさいを渡したら、やっぱりうれしそうだった。 

実家の滞在は睡眠含め、9時間。
1時間ほどしか話ししていません。

 

けれど、まあ、愚痴ばかりを聞くことや、やせ細っていく母を見るのはちょっとしんどいからこのくらいがちょうどいいかもしれない。

 

「十日町から離れて、十日町の良さを見つめ直す」を定期的に感じたいと思うので、これからも十日町に住みながら、いろいろな土地に足を運びたい。

 

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「定住が成功例は本当?」東京の良さ、地方の良さから見える本質について。

現在わたしは山形県米沢市にいる。母方のおじいちゃんの十三回忌で呼ばれたのでGWに休みをいただいた。

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米沢牛すきやき

 

去年のこの日は、JAPAN JAM BEACH のフェス会場にいた。当時は千葉の稲毛にアパートを借りて住んでいて、稲毛から幕張まで自転車で30分かけて会社に通ってた。

大好きな会社の先輩夫婦の家も近くにあったので、泊まりに行ったりして、あのときはあのときで、楽しい日を過ごしていた。

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JAPAN JAM BEACHに会社の先輩ふたりといった時

 

 

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稲毛に住んでいたときの新築のアパート時代

 

話を戻すと、お葬式でもなかなか揃わなかった親戚が、おじいちゃんの死後13年目という時を経て、山形という土地に引き寄せられた。

いろいろな思惑を越えて。

 

兄妹同士の確執の傍ら、集う思い

 

母は5人兄妹の3番目。「5人兄妹」というと、にぎやかで仲睦まじい聞こえではあるけども、お金や土地がらみで兄妹同士に昔から溝があった。

わたしが小さい時から、上記のトラブルから母の妹家族(大好きなおばちゃん一家)しか関わりがあまりなかった。

今回のおじいちゃんの十三回忌は、おじいちゃんの魂が何かを伝えるかのように、5人兄妹が何十年ぶりに顔を揃わせ、子供、そしてその子供たちが集結し、「おじいちゃんのDNAは確実に歴史を作ったんだなぁ」としみじみと思った。

今この身が新潟で動けることも、自分の意思で何かができることも、先祖のおじいちゃんおばあちゃんなしでは存在できなかった。

新潟に来たとき、家族という存在を見つめ直すきかっけをもらったので、おじいちゃんに感謝したくなるという不思議な気持ちが生まれたと同時に、十三回忌の話が決まったので、不思議なタイミングに、「絶対に行こう」と思った。

そして今日やっと、お墓に「ありがとう」と手を合わせることができた。

千葉に住んでいたので、山形にいるおじいちゃんとの記憶はほとんどないけれど、土地に刻まれた歴史は死んでも尚、わたしたちが生き続けることでおじいちゃんの歴史を紡いでいる。

 

兄が代表取締役になっていた。

 

今回の集まりで一番驚いたのは、兄が日本でいう「社長」になっていたこと。笑

兄は大学受験に失敗してから何年もネットゲーム依存症で引き込もり、わたしが心底苦手とする相手でした。

けれども、大好きなおばちゃん一家のいとこがベンチャー企業の幹部で、業績好調とともに人手不足になり、兄を誘ったことがきっかけで、兄を社員として雇ったのが去年の10月。

現在は会社を分けて、いとこも社長となり、兄も社長になったとのこと。ふたりともとっても生き生きしていた。

なんちゅうスピードで、本間一家とおばちゃん一家は変化し続けるのだろう、と思った。(自分含め)

わたしは家族に対してハリセンボンみたいに、膨らんでトゲを出して未だに威嚇しているけれど、千葉と新潟という物理的な距離は「さみしさ」から「愛しさ」に代わるのかもしれないと思った。

わたしの家族の愛し方は、離れることで形を成すのかもしれないなぁ、という希望が湧いている。

母の日と誕生日には毎年あじさいを直接渡していたけれど、今年は郵送の予定。あじさいが大好きだと言っていた母を、花屋さんであじさいを見るたび思い出す。

 

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「ここには何もないから」という母。「ここにはたくさんある」と思うわたし。

 

米沢に来たら、寄らずにはいられない場所「上杉神社」。お墓参りが終わった後、時間ができたのでふらっと家族で行ってきた。

歴史マニアにはたまらない場所かもしれないけれど、長い時間がつぶせるような場所ではないかもしれない。

けれどわたしはこの場所が大好きで、口をパクパクさせながら餌を求める鯉を見てると、時間が経つのを忘れ、住んだことのないこの土地を、ちょっとした故郷だと思う錯覚が好きなのかもしれない。

そこにつぶやく母、「ここには何にもないよ・・・」

出た。地元の人が口を揃えて言う「何にもない」という土地への謙遜。

思わず口が出てしまった。

「たくさんあるよ。地域おこし協力隊をしていると、お母さんの目線もわかる。新潟にも”何にもない”っていう人がいるから。だからこそ、その土地その土地に新しい目線(移住者)が必要なんだと思う。」

「そうね・・・」と、淋しそうにつぶやく母。

長い間土地に足を付け続けていると、「ある」ものが慣れて、「ない」と思う時がある。恋愛でも、結婚でも、「慣れ」で見えなくなるものが出てくるのが、人の性。

その性を否定するのではなく、「それならばどうするか」が、大変でも楽しくもあるのが生きるということだとワクワクする日々。

 

Uターンから、”Wターン”、働き方をさまよう人たち

 

山形では東京から戻ってくる人も多いと、いとこがいう。

「30歳くらいになると、”東京で疲れた”と言って戻ってくる子が多い。だけど”仕事がない”といって再び東京へ行く子もいる。で、海外行ったりとかも。」

わたしのなかで、「Wターン」という言葉が生まれた瞬間だった。

十日町では、関東程の賃金まではないけども、働き口は「公の場=ハローワーク」などでもある方。裏ネットワーク(いわゆる口コミ、人づて)の働き口も、地方コミュニティーでアンテナを張っていれば、仕事をもらう珍しくない手段でもある。

けれど山形県米沢市での仕事探しは、東京でいうタウンワークの「一ページ」ほどしかないというのが現状らしい。「働く」ということが、東京にいかに集中しているかという、やるせなさを感じた。

「企業に属す」以外の生き方は日本中のたくさんの人が注目している。

そして希望でもあるかもしれない。けれどそれを他人に委ねてしまっている時点で、その人の成長という芽には肥料や水や日光は与えられない。

たとえ誰かが「企業から属さない」という道しるべを作ったとしても、「自分で選んで、自分で決める。」という土台がなければ、道しるべは単なる学校の授業に成り下がり、卒業後に「どうすればいいんだ?」と迷ってしまうだけの末路なのではないか。

ひとつの「自立した働き方」のモデルケースを作ることはもちろん大切だけれど、「人間として」のあり方が問われるのが今の時代のテーマなんじゃないかと思う。

 

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人としての在り方が、地方を変えていく

 

人の成長を促す大きな肥やしは「信頼」だったのだと気づく。

わたしは両親にたくさん放置されてのびのびと育てられた。放置と信頼はわかりづらいけども、年齢を重ねた今では「放置ではなく、信頼だった」とうなずける。

中学生の時から「大学進学ってなんの意味があるのだろう」と世の中なめた子供だったけれど、今でもその思想は好きだし、大学に行く人を否定するわけでもないスタンス。

学歴を誇る人や、地位や名誉にすがることも、ある意味では生きるために「自分で選んできている」算段だ。

わたしは高卒で学歴もないけども、「自分で決めて、自分で選んできた」というのが確かな自信を育んでいる。

 

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だから、いま、新潟県十日町市という土地に飛び込んでいる。

自分の生き方はキラキラした土台から飛び降りたのではなく、擦り傷だらけで歩いてきたからこそ、今がとても楽しい。

「一般的な生き方から外れた」ことで、”当たり前に疑問を持つ”というのが、とてもとても大切な心地良い風だと思っている。

「当たり前=慣れ」へ向かう「疑問」という矢印は、ぶつかることはなく、優しく溶け込みあうもの。

まだまだわたしの考えは、地元の人に拒否されてしまうかもしれないけれど、土地に根を張っている人たちに”疑問を育てる”というあたらしい風になりたい。この土地で。

地方には、「この土地で、自分の力を活かしながら、何かをしたい」という、心根が素晴らしい人たちがたくさんいる。

わたしが東京で働いていたときは、そんな気持ちになったことは一度もなかった。

 

「定住」が地域おこし協力隊の成功例というよりも、「心」が変わるから地域が生きる

 

新潟に来た今では、東京の利便性の良さや、「人としての距離感=干渉しあわない」良さなども、良い所にたくさん気づく。

だから「定住」は地域の人には良い意味を孕んでいることはもちろんだけど、”当たり前=慣れ”という土地の良さを遠ざけてしまう恐怖も付きまとっている。

また、「定住」という言葉が蔓延ることで、「移住」のハードルがあがること、「土地に根を張ることが地域貢献」かのような選択肢の視野を狭める可能性のある言葉だとも思っている。

そこに市役所の高橋さんの印象的な言葉を思い出す。

「地域おこし協力隊の皆さんは、”今そこに住んでいるだけでも”ある意味では既に地域貢献。退任後に新潟から離れても、”十日町を宣伝する営業マン”がたくさん増えていくだけでも、良いという捉え方もしています」

と言っていて、退任後も”地域に住み続けてほしい”というのは大前提であるけども、わたしには高橋さんの地域おこし協力隊のそういう肯定の仕方が、心の柔らかさを生んで「地域おこし協力隊の成功例」として有名なんじゃないかなぁと思った。

日本は統計が大好きだから”十日町市の地域おこし協力隊の成功例”というのが、定住率約75%という数字でよく取り上げられるけども、地方というフィールドは「自分で決めて、自分で選ぶ」ことが都会より、たくさん用意されていること。「自己決定」を積み重ねていくこと。人としての「自信」や「誇り」を育てられる大切な宝物が、散らばっていることが地方の魅力。

そんなことを、山形に来て、なんとか文章にしたいと想い、ホテルでひとり4時間ほどパソコンにかじりついたのでした。(ほんとは別の仕事をやる予定だったのに・・・)

明日十日町へ帰ります。愛しい土地へ。

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吾輩は恋愛と仕事のバランスがとれない系女子である。

人肌は、思考を麻痺させるときがある。

あたたかいひだまりのような匂いがするときもある。

そのあたたかさを失う恐怖を覚えるときがある。

 

わたくしごととなりますが、

移住前におつきあいしていた方とお別れする道を選びました。

 

ここ最近からだの不調も続き、

仕事も上の空が続き、

それでも止まらない思考回路と

やりたいことの実現のために、ひた走り。

 

時間の使い方がよくわからなくなってしまって、

恋愛より仕事が大事で大事で仕方なくって、

仕事を優先することにしました。

 

でも、これは、きっと、後付けの理由で。

何かと何かを天秤にかけること自体、わたしはまだまだ未熟者。

 

ほんとは、全然自分に余裕がなかったせい。

それを仕事と時間のせいにしているだけ。

 

移住前に支えてくれたこと

移住してからもこころのどこかで寄りかかる場所をくれたこと

彼のおかげでたくさんの人に出会わせてくれたこと

思い出したら、ありがたいことだらけで。

勝手なわがままで、とても傷つけてしまった。

 

これからの生活がひとりぽっちになった気分になったりして、

今手に持ってる仕事をやろうと思っても、砂時計の砂のように、落ちていく。

 

 

仕事優先人間ゆえに、恋愛はすごく不器用になってしまった。

OLの女の子のように、土日は彼とディズニーランド・・・なんて、いいなあ、と普通の女の子が羨ましくもなったりするけれど、わたしにはそういうデートコースは似合わない気がする。

芝生でわふわふしたり。川で遊んだり。写真撮りにいったり。星を見上げたり。

自然と遊ぶことが一緒にできることが幸せで。

それでも仕事を尊重したい今で。

 

わたしは未だに、恋愛と仕事のバランスがわからない系女子です。

時間があったら、とにかく勉強してたい気持ちが強くって。

 

恋愛するからには、彼との時間も大切にしたかったんだけど、

新潟にきてから、やりたいことがどんどん多くなってきてしまって、

頭の中は爆発しそうな勢いで。

 

今は、やりたいことがありすぎて、何を捨てたら良いのか未だにわからんのです。

でも、両手に抱えられるものは限られている。

 

何を捨てたら良いのか。

捨てる以外に選択肢はあるのか。

きっとあるんだろうけど、わたしはまだ”仕事のせい”にしたいだけだ。

大人になりきれない、おおきい子供。

 

5月に一度、関東に戻ろうかなあと、考えたけれど日程的に厳しい。

関東の会いたい顔ぶれがブワーって出てきてしまって、

イカンイカン、と思いながら生きる日々。

あぁ、会いたいな。

 

困ったとき、つらいとき、誰に相談しよう?

って、この土地の顔ぶれを思い浮かべたんだけど、

「いや、言えないな・・・」と、自分BOXにそっと、気持ちをしまう。

 

孤独感が笑ってる。久しぶりにこいつの顔をみた。

この先の生活に初めて不安が出た瞬間。

 

母とも久しぶりに電話した。

「あんたがいなくて、やっぱりさみしいよ」って。

なんなんだ。

ボディーブローをくらった。反則だ。

 

素直じゃない母がそんな気持ちを持ってるなんて知らなかった。

慌てて電話を切る。

 

喉の奥から、でてくるアレ。

家族の前でも人の前でも恋人の前でも泣きっ面は見せられない。

 

ボロボロこぼれる涙は止まらない。

車内でひとりで、嗚咽する。

こんなに涙もろかったっけ。

 

ひとりくらしをしていた時は、そんな電話をされたことなかったけれど、

物理的な距離というやつは、さみしさの階段を何段もかけあがるみたいで。

 

母は「新潟にはいかないでほしい。」と最後まで言っていた。

わたしと手を振った最後の日は、全然笑顔じゃなかった。

「元気でね」という言葉がさみしさでいっぱいだったのを知っていた。

 

わたしはその気持ちを受け止めることはできなかった。

本当にごめん、と思う。

懺悔の涙。

 

それでもこの土地でやりたいことがあるから、やめようなんて微塵も思わない。

恋愛に一区切りつけたことも、自分の中でプラスにしていくための出来事。

 

新潟で恋をするんだろうか、わたしは。

関東に戻りたい気持ちも捨てきれてはいないから、

恋愛のアンテナはとてもさまよっている。

 

パートナーと移住するのはやはりとても、心強いんだなと思った日。

もちろんわたしみたいな一人にも、この土地はやさしいです。

 

けれども、どこにいったって何かしらはある。

泣きたいときもある。

強がる日だってある。

そういうことを共有する仲間も、きっとできる。

 

でもまあ、あしたはきっといい日になる。

 

今日の一曲

ハンバート ハンバート ”ぼくのお日さま”