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わたしの移住のテーマは「自分の生き方を創る」〜メディア出演して、感じたこと〜

十日町の街中の飲食店さんへ山菜の出荷とともに、ご挨拶へ伺う。

「あ!あなた、テレビに映ってたでしょ!」

 

「・・・え?・・・わたしが!?」

 

ハッ。

そうだ、わたし、昨日テレビに出てたんだっけ。取材された日々が頭の中で回想される。

十日町の方だけでなく、新潟県全体でわたしが十日町に移住するまでを、テレビで見てくれているというのだ。あの四角い液晶に自分が動いめいているかと思うと、顔から火が出るほど恥ずかしい。

わたしは去年の年末からかなりの頻度で、密着取材をされてはおりましたが、カメラに映るのがとっても、とっても苦手なんです。

インタビューも、どもってたことと思います。笑

写真を撮られるのも、とっても苦手です。(最近は、腕のいいカメラマンたちに助けられているために、やっと写真に写れるように。)

 

女の子たちがよくやるアレが未だに苦手です。アレですよ、アレ。

「写真撮ろー!!」

スマートフォンのインカメラを、おもむろに手慣れた手つきで構図をとる、女の子たちのアレ。

(笑顔って、頬っぺたをこう、引き上げるんだよな・・・。わたし八重歯、イカツイからあんまり笑わないでおこう。そして、隅っこでなるべく映らないように・・・。)

 

そうです。

今時、女子、ちゃいますねん。思いっきり、根暗女子ですねん。

 

透明のレンズが「こっち見て!」って呼ぶんだけど、自分のありのままの姿が映ると思うと、怖くて怖くて逃げたくなる。

 

それなのに、なぜ取材を受け続けたのか。

それにはわたしなりの「伝える」の入り口を、手繰り寄せている途中だったから。

何にもすごいことをなし得てない、自信のないひ弱なわたしだからこそ、飾らずに伝えるべきだと思ったから。

取材もひと段落したので、軟弱だった移住前と今を、振り返ってみることにしました。

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新潟移住前に「二つだけ」武器を持つことができた。

 

テレビの放送が終わった後は、わたしの特集を担当してくださってる記者さんからDVDがいただけます。

ありがたいことです。

そこに至るまでには、”本間 小百合”という人物を「伝える」という、記者さんの仕事があって。

いつも担当してくれるカメラマンさんもとても面白くて、現場を和ませてくれて、撮影の合間に雪を丸めて投げたことも新潟移住前の楽しい思い出になっています。笑

お二人の仕事は、時間が不規則で相当大変だと思います。

 

記者さんはわたしの活動や予定に合わせて、千葉に取材に来てくださったことは一度や二度ではなかったので、「はるばる、なぜわたしを・・・」と思ってもいました。

「移住する人なんて、日本中にたくさんいるし、新潟にもすでにたくさんいらっしゃるはず・・・」

と、思ってもいました。

それでもたった一言記者さんが「ほんまさんのブログ、すごくいいと思います。”等身大”っていうタイトルも」と言ってくださって、

「あぁ、こんなひ弱で、肩書きすら何にもないわたし”だからこそ”伝えられることがあるんだ」って思って。

初めてその時、「言葉」と「感性」を武器にできるんだと、気づきました。

自分の繊細に折れそうになる心に直面する度に、「強くなれ」と「強くあれ」と鞭を奮っては、言葉とは裏腹に、対に向かう繊細な感性を「弱くて、だめなやつだ」と、コンプレックスとして感じてきたんです。

 

それをブログやSNSで”アウトプット”することを始めたら、コンプレックスであった感性や気持ちを、様々な人から「考えるきっかになった」「勇気が出た」などと、メッセージなどをいただけるようになったのです。

 

 

計4回のテレビ放送をひとつも見れない自信のなさと、情けなさを感じても、伝え続けたい。

 

そんな、大事な武器に気づかせてくれたにも関わらず、未だにわたしは4回も放送していただいた、DVDの内容を一度も見れずにいます。

自分自身に、まだまだ全然自信がないから。

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インタビューも、うまく言葉にできなくて、すごく悔しい想いをして、毎回取材に望む。

いいこと伝えようなんて思ってない。

けれども、頭に浮かんだ単語は、頭の中にパチンコ玉のように弾かれて、単語の端々を掴めそうで掴めないもどかしさが、自分の中での悔しさと罪悪感にも似た気持ちと摩擦させる。

顔は笑ってるのに、心の裏側ではちぐはぐが多くて、自分に嘘ついたんじゃないかって、帰って一人になると喉の奥がえぐられて涙が出そうになることもしばしば。

新潟に移住されてる、パワフルで素敵な方達を見ると、自分のちっぽけさが丸裸になる気持ちも出てきて、「わたしに一体何ができるんだ」と、「出ました!卑屈さん!」と思いながら、体育座りして、ぼーっとしてたい時なんてしょっちゅうあります。

それでも、特集を組んでくださるテレビ新潟の記者さんが、熱を持って、取材してくださる。

それを見た視聴者の方が応援してくださる。

ブログやSNSを見て、いろいろな感想をいただける。

わたしには「発信」をしながら、「伝える」ことができるんじゃないかって、少しずつエネルギーの芽が育って行く。

”地域おこし協力隊”としても、”本間 小百合”としても、わたしは「伝える」を仕事にしたいな、と、もやもやしていた「働き方」が掴めそうになっている。

自分の生きてもがいた日々が、言葉になることで、誰かに届けられること、誰かの心を揺さぶれること。

これはわたしにできることのひとつなんじゃないかって「移住」をしたこと、一歩踏み出して「発信」をしたことによって気づいたのです。

 

”地域おこし協力隊”としてのわたしと、”本間小百合”としてのわたしのバランスの取り方

 

”地域おこし協力隊”は公務員。

公務員としてのわたしと”本間 小百合”としてのわたしとのバランスは、未だに課題でもあります。

テレビ取材もその兼ね合いで、難しい面があり、悩んだりもしました。

実際に”地域おこし協力隊”は楽しいことばかりではないです。

村の方や地域の特性など、ひとつひとつ知ることから始めなければならないため、”本間 小百合”としての時間の捻出が課題にもなって、睡眠不足の毎日です。

その中でも最近は大事なことを掲げました。

「やれること」をしながら、「やりたいこと」をやる。

この徐々に移るシフトチェンジが人生を豊かにするということ。

「やりたいことがない」という人は、「やれること」を飛び越えてる人が多い。

「やれること」で自分を育てて、足腰鍛えたら「やりたいこと」に挑戦してみる。

自分の力の育て方を、霧のような「やりたいこと」に費やしてはもったいない。

”ある”もの探しは、今目の前から始めること。

 

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”「想ってること」はアウトプットしなければ「死んでるのと一緒」”が腑に落ちた瞬間の変化

 

楽しかったこと、

しあわせだったこと、

悔しかったこと、

泣きたかったこと。

 

これらが全て”感じる”ことであり、”生きる”こと。

”生きる”を肯定するには、どんな感情であろうと、まるごと全部自分なんだと、受け入れること。

わたしは、こっぱずかしい青臭い部分ですら、文章として書き残している。

誰かに届けられることを信じながら。

自分一人の自己満足のためのブログから、誰かに「届ける」ことを目的とした、「発信媒体」にしようと、試行錯誤して「伝える手段」をもっとかき集めたいとも思っている。

テレビ取材のおかげで、様々な方とご縁を繋いでいただき、住む土地を変えるだけで、自分の内側のあらゆる感情に気づくきっかけをもらい、結果として「変化」という大きな成長をいただけた。

わたしの移住のテーマは「自分の生き方を創る」です。

「生き方」を創るには、青臭い部分と向き合いながら、わたしの言葉を読んでくれる人の「違和感」と「疑問」を解いていくお手伝いをしたい。

そのためにはわたしが、”等身大”であることを優先することにして、人してのやわらかさを育てていきたい。

 

 

そんなこんなで、この場を借りて、いつも応援してくださる皆さま、お礼をさせていただきます。

本当にありがとうございます。

メッセージひとつひとつ読ませていただいております。

 

これからも新潟県と十日町市と飛渡地区と各集落の良さを伝えていき、「生き方」をテーマに「発信」を続けてまいります。

 

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「わたし」が地域の人からありがとうを貰うのではなく、「地域の人が」ありがとうを貰う、土地作りをしていきたい。

 

”十日町地域おこし協力隊”

“飛渡地区”

 

この言葉を知っている、日本人は一体どれくらいだろう。

 

わたしが十日町市の地域おこし協力隊として活動する「地区」が”飛渡地区”となります。

十日町市の地域おこし協力隊の面接を受けた当時、12地区の募集があり、区によって資源、人、環境、それぞれが異なっています。
東京都23区に個性という色があるように、十日町市にも地域、地区に個性という色があります。
そんな地域の色と、協力隊応募者のマッ チングをするのが、地域おこし協力隊の面接の場でした。

 

いうなれば、”土地との合コン”

面接というよりは、そんな表現が一番しっくりくる。

そんな”土地との合コン”あなどるなかれ。

十日町の地域おこし協力隊というのは、土地を愛する人たちが、懸命に取り組んだユーモアと愛が溢れる制度だ。

 

「地方」に住みながら、自分の「生き方」を見つける手段が、「地域おこし協力隊」

 

地域おこし協力隊の面接の日。
2月の中旬。

 

面接として案内された場所は、広い会議室で、地域の人たちのワクワクに満ちたエネルギーが溢れた会場だった。

 

面接というものは、「圧迫、緊張」という単語をイメージしがちだけれど、「歓迎」という文字が隠せずにはいられない、常識を覆す場だった。

会場には協力隊応募者がわたし含め10名おり、「わたしはこんな人」という3分程のスピーチがあった。

10名それぞれが、この土地に引き寄せられた経緯を話しだす。

 

家族を連れて来るという方。

地元である十日町を離れたことでこの土地の良さに気付いたという方。

農業をやってみたいという方。

「じっくりインタビューしたい!」と思うくらい、興味深い人ばかりだった。

 

こんなにも土地を愛す人がいるということ。

”十日町”という土地は、すごいんだなと、この時感じた。

 

わたしの自己紹介はというと、応募者の中ではとても異色で、十日町には縁もゆかりもなく。

十日町に住んでいる「佐藤可奈子さん」の生き方に感銘を受けたこと、

テレビ取材を受けたことで、「生き方」を見つめ直し、「移住」という手段を見つけたこと。

アートにつながる仕事を創りたかったから、十日町がたまたま「アートの土地」であったこと。

などを、懸命に伝えた。

 

こんなに自分を飾らずにアピールした面接は初めてだったと思う。

それは、「地方に住みながら自分の生き方を見つける」ということを「決めて」いたから。

「決める」ことで、頭の中の会議(いわゆる雑念)が静まり、目の前の「今」に全力で望めた。

 

今まで散々迷って目の前の出来事をこぼしてしまうことが多かったのは、「決める」ということを避けてきたのだと、「移住」を決めたことで、視界がクリアになったことを感じることができた。

 

ダンディーなおじさまのプレゼンテーションに心が躍った

 

応募者のアピールが終わった後、12地区それぞれの「やってほしいこと、求める人材、地域資源」のプレゼンテーションが始まった。

ここでワクワクが止まらなかった、とあるプレゼンテーションに釘付けになった。

 

「えー、飛渡(トビタリ)地区では・・・」

 

低く、落ち着いたトーンの、心地よい声。
「サ、サンプラザ中野似の素敵なダンディーがおる!!!」と思った。(笑)

それが、今わたしの受け入れ地区の世話役人の、久夫さんとの出会いだった。
直観で、この地区は「人が素敵そうだな」とセンサーが反応した。

けれども、プレゼンテーションだけでは、自分と相性の良い土地がわからなかったため、別会場にて行われる懇親会で、掘り下げることにした。

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「自ら選び、自ら人生をデザインする」ことが都会で欠いてしまうのは、「選ばれる側」に偏ってしまうから。

 

懇親会では、地区ごとの代表の方や、地域おこし協力隊の現役隊員を交えてお酒を酌み交わす。
やっぱり土地との合コンだなあ、なんて思った(笑)

一定の時間が経ったら別テーブルにローテーションし、地区の人たちと、プレゼンテーションの場では伝えきれなかったことを語らい合い、繰り返し全テーブル回ることで、マッチング相手の最終候補を決めるという。

この時既に、飛渡地区か、中里地区にしようと決めていたので、「選ばせて頂く材料」を探させていただいた。

面接では応募者も「仕事相手に選ぶ 」という目線があることを忘れてはならない。

どちらが上で、どちらが下というものではなく、
受け入れる側は、環境、人、賃金を提供し、
地域に入る側は、行動力、実行力、アイディア、労働力の交換をすることが「仕事」。

都会で仕事を「選ぶ」と、人口密度が高いために、「選ばれる」側に回ってしまうことがあまりに多く、「自己決定」が薄らいでしまうのは、「環境」からも起因するのだな、と思った。

だからといって、”都会が悪い”ではなく。あくまでも自分次第。
応募者が、「企業を自分も面接をする」という感覚に鈍感になってしまうのは、「採用して”もらう”」が強いイメージが蔓延ってしまい、企業とのパワーバランスを作り上げてしまった” 自らのイメージ”にある。

今後は、十日町の地域おこし協力隊のような面接のしくみを、企業採用に取り入れたら、相性の良い仕事と人とのつながりが生まれるのではないかな、とも思う。

面接と懇親会のセットで、お互いのミスマッチを防ぐことは大事なんじゃないかって。

スーツ着て、履歴書持って、「採用されるノウハウ」をじっくり読み込んで、「就職活動」するという時代は、とっくに遅れているのかもしれない。

 

移住地選択の判断材料を、「人」にしようと思った。

 

飛渡地区か、中里地区か。

とっても、迷った。

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中里地区の様子

 

中里地区は、川がとてもきれいで、環境も、求められる仕事の内容も、全部が魅力的で、環境や仕事内容で選んだら、「絶対に中里地区」だと思った。
中里の担当の方たちも、穏やか で優しい人ばかりだった。

けれど、飛渡地区がどうしても頭から離れなかったのは、サンプラザ中野似である、久夫さんの人柄に魅力を感じていたからだと思う。

50代以上の方は、生きてきた年数が長い分「自分」が定まり「成熟」した人が多く、良い面では「頼れる」、悪い面では「頑固」という、両面がついてくる。

けれでも、久夫さんの魅力は「やわらかい」だった。

物腰がやわらかくて、目線がフラットで、押し付けがましくない。

よく「定住してね」と言われるけれども、久夫さんは”自由”をとても肯定してくれた。
懇親会の場では、既に定住してる中島さん、多田さん、地域おこし協力隊現役の、ちえみさん、横澤さんが20~30代の枠としていらっしゃってて。

「この雰囲気なら長くやっていけそうだな」と思った。

また、仕事や環境は「自分で創る」ことを目的に来ているのだから、既存にある仕事より、「自分で創る仕事」が楽しみなんじゃないかとも思ったから。

 

ここで、全ての判断材料が揃って、「飛渡地区」を選んだのでした。

 

「自立」と「共存」と手を取り合って、「依存」から線引きができるお手伝いを 

 

既に、「地域おこし協力隊」として任用されてから、2週間ほど経ち、地域の課題や、自分が取り組むべきことも見えてきました。

「こんな何もないところによくきたね・・・」

度々聞く言葉。

 

あぁ、少し寂しい。

地域の方たちがおっしゃる「ある」は一体なんだろうか。

 

目立った観光スポットがあるわけではない。

有名な方がいるわけではない。

今年の飛渡第一小学校の入学式は1人。

 

それでも、自然と生きるこの土地は素晴らしい土地だ。

 

かえるの声、穏やかに土地を見守る田んぼ、溶けきれない雪、桃色を風に飛ばす桜。

夏にはブナが空を目指してまっすぐに伸びながら緑色を彩り、畑の土は作物への母となる。

雲のない一面の闇夜には、人工物だったプラネタリウムが本物となり、人間の心を震わせる。

 

こんなにも「ある」のに、「ない」こと探しの達人になっていくのは、都会でも田舎でも変わらないのだ。

わたしは「ある」こと探しの達人になり、この目で見つけた「ある」を輝かせるサポートをしなければ、と思った。

 

けれどもわたし”だけ”が「ある」もの探しをしても、地域の活性化には取るに足らないもの。

それは、「地域おこし協力隊に、頼ればいい」という考えが根付き、地域の人たちが「自分で考えて、自分で動く」を手放してしまうことになるから。

地域をひらき、地域を創るには、「人」が「個」をもって、「共存」する形でなければ、小さい集落はどんどん消滅していくことと思う。

 

わたしたち地域おこし協力隊の仕事は、

農家の方のお手伝い、おじいちゃんおばあちゃんの手の届かない仕事をして、「ありがとう」をもらうのではなく、

村の方一人一人が、「生きる」を心の底から楽しみ、「自分」を保ち、「助け合う文化のすばらしさ」を継続し、「この土地はにたくさん”ある”んだ」と感じてもらい、人と土地に誇りをもってもらうサポートをすること。

この土地の魅力をブランディングするには、「今」「この土地に住んでいる人」が、「たくさんの”ある”に気づき、しあわせなひと時をたくさん感じること」の土台がなければ、成り立たないのだ。

その結果が、生き生きした人たちに魅力を感じる人、この土地のすばらしさに気づく人が、豊かさを運んで来てくれると思う。

その仕掛け人になるために、わたしはこの土地で、自分という資源を燃やし、「地域の人たち」がありがとう、と言われるしくみ作りをしていきたいと思う。

 

 

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