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2つの「死」から貰った、あたたかい贈り物。

Nakamura Emiさんの「使命」という曲の3:41が、
10回、20回…と、リフレインする。

あぁ、最近テレビもニュースも全然見ていない。
情報を遮断しないと頭がパンクしそうになる。
脳みそが自分のことだけで手一杯。

テレビの喧騒が、頭を麻痺させるのが嫌だ。
テレビの喧騒で、現実を忘れるのも嫌だ。

乙武さんの不倫騒動も、最近知った。
誰に向けて謝罪するんだろう?
当事者同士でやってくれたらいいはずなのに、ニュースになるのだなぁ。
日本は、そこそこ平和なんだろう。

そんなことをボーッと考えていると、
3:41の「使命」という曲の終盤が再びやってくる。

 

鹿や猿や熊もうろつく小麦色のこの町から
わたしが何を叫ぼうと世界が振り返る訳ないだろう
鹿や猿や熊もうろつく小麦色のこの町から
30代小娘の言葉で振り返る世界なんか駄目だろう

分かっていても心の中
消えないペンで手の甲に書き残す
お前は書けという人がいる
お前は歌えという人がいる

1人怖いのに?
男の人に甘え
家族を作り
ママになり
幸せになりたいのに?
今日も手の甲は何か書いてある

さぁ 歌えよ 沢山の人に出会ったわたしよ
さぁ 歌えよ 死んでいったあの人から貰ったものよ
さぁ 歌えよ その時代の人間が残した美しい心


(Nakamura Emi “song by  使命” )
何回でも泣いてしまう。この曲は。

泥臭いけど、あがいて、強さすらすがることが正解なのか問う、一曲。

自分の才能を信じ切っていいのか、この道でいいのか、葛藤の中で自分の持てる力を今に向ける。

自己投影って、誰かに言うのは恥ずかしいけれど、こんなに心が震えるほど投影する曲は久しぶり。

 

「答えをください」と言っているのに、質問すらしない。

 

答えなんか誰も持っていないのに、
「あなたは答えを持ってますか?」っていうフリップを掲げて
誰かに聞き回りたくなる時がある。

自分が持った能力を信じきりたい気持ちと、
信じきれない葛藤の中、
それでも心から湧いてくるものを、自分の外側に出して。

そんな自分を自分以外の誰かに受け入れてもらうことへの罪にも似たような気持ち。
自分を100%肯定できないのに、「誰かに受け容れてもらう」という事象に、すがりたくなる。

俗に言う承認欲求は、頭の片隅から追いやることはできない。

 

自分に対する答えを用意していないと、わたしはわたしを保てない。
誰かに矢印を、赴くままに放り投げていたら、わたしというアイデンティティーは崩れさってしまう。

自分なりの「生きるとは?」に、それなりの回答は自分で持っている必要があると思った。

 

使命について向き合うことは、恥ずかしいことじゃない

 

わたしはよく、自分の使命ってなんだろう?って考えます。

使命について考えるようになったのは、「死」に2つ触れたことから始まりました。

1つは、その死とともに、わたしが生かされた、19歳のとき。
わたしは死んでもおかしくなかったのに、その死のおかげで今、生きることができている。
この詳細はいずれ書く事として。

もう1つは、「またね」って言ったのに、命を自ら絶った、20歳の仲の良かった女の子。

彼女は境界性人格障害と、躁鬱病を抱えていた。

病気の相談もよく受けていたし、自殺未遂をした後に、わたしに連絡をよくくれた。

「死ねなかった」って。

彼女のその行動をわたしはずっと無理に止めずに見守ってきた。

病気に対して、勉強したりもした。

彼女のお父さんからも相談を受けて、「どうしたらよいか」と話し合ったこともある。

けれども、彼女はついに「死ねてしまった」。

翌週に会う予定だったのに。

20歳そこらで、どうしてこんなに死と向き合わなければならないんだろうって当時は思った。
まわりを見渡せば、遊びに夢中になっている学生たち。

「お葬式?散骨?告別式?そんなこといいから、飲んで忘れちまおうぜ」

いけるものなら、そっちの世界に、行きたかった。
飲んで、忘れて、記憶を失うまで飲んでいたかった。

「ここに2つの命はない」という事実だけが残って。
それでも「今ここにあるものがすべて」という事実があって。

この世界は、事実だけが残されて、心がついていけなくなる時もある。

 

生まれた意味をつけてあげられるのは、わたしが生きること。

 

2つの死に向き合えるような器ではなかった当時、
「今」という時間が苦しかったから、
常に「未来」へバトンを渡すことを望んでいた。

いつまでもその時は、やってこなかったけれど。

2人が生まれた意味を、わたしがみつけたいと本気で思えたのは、
移住を決めて「覚悟」という言葉の意味が少しずつ腑に落ちだしたからなのかもしれない。

彼らの死んだ意味を探すんじゃなくて、彼らが生まれた意味が
わたしが生きることにイコールするのではないかなぁ、と思ったから。

わたしたちはこの地球で、思考を持つことを与えられて、
「今」を積み重ねることだけは平等に与えられる。

前々から思ってきたけれど、必ず死んでいくのに、「自分という素材を抑えて生きる人」があまりに多いなぁ。と思う。

その一部として、弱っている自分を、痛いほどに感じて。

(そう、まさに今です。わたしです。)

 

ちょっとだけカラい文章で、わたしに味付け

 

今日は少しだけ心の奥を突っついてみる文章を書いてみようと、ヘビーな内容ですが、「わたしだから書ける」という言葉への挑戦も込めて書き残しています。

言葉の1番の贈り主は、臆病で不安に駆られている「自分」に向けて。

なんだか、周りの子を見渡すと「本気になるのがかっこわるい」という風潮があるように感じて、わたしはどちらかというと、物事の根っこを考えるのが、マニアックなほどに大好き。(気持ち悪がられます)

なので、真剣な内容をどこか茶化して、はぐらかして、たまに「真剣さ」を出せば、「病んでるの?」なんて声も聞こえたこともある。

物事や、自分に向き合う作業って客観的に見たら、物凄く「青臭いもの」と感じてしまうし、「こそばゆい」想いが根付くのは致し方ないことと思う。

けれど、そこをひとつ越えると清々しいし、かっこいい。

自分の内面と向き合うことは、全然かっこわるいことじゃなくて。

アウトプットしたら、誰かの悩みの手助けになったりもする。

知恵の輪を解く作業をみんなでやるのは、楽しいことだと思う。

 

「死」というゴールからの、あたたかい贈り物

 

命を使う。使命。

よく何の為に生きるのかという哲学のテーマが蔓延っているけれど、
「死ぬ」ことの方に向かって考えた方がよっぽど有意義な気がする。

「恥ずかしいから、本当のわたしは出さないんだ」
なんて、言ってる場合じゃない気がしてくる。

時間軸のゴールは、みんな一緒で、「死」。

何秒、何分、何年とか、個々に違うリミットがあるのは誰もがわかってる。
わかっていても、それを意識して、生きている人ってどれほどなのだろう。

「死んでいくこと」を目の前に感じると、終わりを身近に感じられる。

なんだかそれは、とってもあったかい贈り物のような気がして、
「あなたを使い切るための希望だよ」って、教えられた気がした。

「終わる」ってそういうことだよなあって。

今は、2人がいなくなってしまったことも、「わたしという素材を燃やす起爆剤」だとわたしは勝手に捉えている。

 

「今」というコップが穴だらけな時の、総点検

 

誰かが作った「成功の道」を目指して、追い求めて、老いていく人もいる。
誰かが作った「お金」という循環に奔走して、老いていく人もいる。

彼らが死ぬ時に「よい人生だった」と一言あれば、
そのことに誰かが意味をつけることは、無駄以外のなにものでもなくて。

人の生き様が目について、黒い感情が生まれるときは、
「今」というコップが穴だらけなのだと気づく。

嫉妬とか焦りは「今に穴空いてますよ!」というサインなのは重々承知だけれど、壁についた黒いシミをずっと見ているような、一秒一秒を感じる集中も難しい。

けれど、終わりが希望ということは、今抱えている悩みはとてもちっぽけなものだと、笑える気もしてくる。

コテン、と逝ってしまうその時に、今が笑い話になるような工夫をしていきたいと思う。

今はそんな、総点検の時期だったのかもしれない。

ひとつ、ひとつを文字にすることで、弱っていた自分を客観的に見ることができたら、気持ちがとても落ち着いてきた。

 

「覚悟」がつきまとうから、「移住」のハードルが高い 〜中山間地〜

 

散々哲学的な内容を綴ったけれど、気が済んでしまいましたので、この辺にしておいて(笑)
大幅な方向転換させてください(笑)
気分がコロコロ変わるのです。人間だもの。

現時点で移住におけるさまざまな課題をポイントとして分かり始めました。
また、地域おこしをするにあたって、中山間地に移住者を増やすのは、想定していたことより複雑なことが多いと既に実感しています。

「あぁ、これは、生半可な気持ちじゃ地域おこしできないわ」って。

イベントやって、都会との交流、満足満足〜。っていう、そういうレベルではないなって。

そう、それは、わたしが既に弱っているから。
移住者の一人として。
これが中山間地への移住に対する「覚悟」かも、っていうのが芽生えてきたから。最初は「おためし移住」に近い感覚だったのに。

けれど、これから移住する人に対して「覚悟」っていうハードルを下げるのが、これからのわたしの仕事。

「覚悟」を持たなくても、移住してもらえるような地域にしていく準備が必要なんだと思った。

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新 ほんまHOUSE

 

そうそう、田舎の醍醐味は「手間」でもありますから、一見デメリットなことを魅力に変える力をつけたいと思っています。

 

とりとめもなく長くなってしまいましたが、先日引越しを完了しまして、一旦千葉に戻ったものの、今日から新潟県十日町市の宇田ヶ沢村の集落にて移住生活が始まります。
そして、飛渡地区の地域おこし協力隊として、4月1日から任用されます。

移住ライフから、生き方から、日々思うことまで、今後も徒然と日々を綴っていきます。

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「普通」を知っているからこそ、「恐怖」を武器に。〜シンガーソングライター松本佳奈と出会って編〜

海辺にて、わたしの作品撮影とともにモデルとして先日写真を撮っていただきました。

ここで、「あぁ、恋愛してたなぁ」と今では懐かしく思えた現場でした。

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隠していたつもりはないのですが、わたしは19歳だった当時、1年半ほど付き合っていた年上の男性と結婚していて、21歳の時にお別れしました。結婚生活は約2年ほど。

「別れた理由」は一言では語りつくせませんが、お互いにとって「しあわせ」が今後多くなる道が、「別れ」だと思って選択した、前向きなものでした。

彼は「別れるっていつかは言うと思ってた」って、寂しそうな言葉をぽつりと残したのを覚えています。
わたしが、「やりたいことだらけ人間」なのを知っていたから。

純粋にわたしの可能性に対して肯定的でもあったから、止めることが「無駄」なのを知っていました。

そして、「やりたいこと」と「結婚生活」の両立が、当時のわたしには「負担」という解釈でしか捉えられなくなっていたことも知っていて。

もっと「普通な人間」であれば「しあわせ」だったのかなぁ、と当時はそんな自分を責めてもいました。

けれど「好き」だけではうまくいかない時もあるのだと、「それもひとつの選択」として今は納得しています。一ミリも後悔していません。
別れてからわたしたちは、年に数回会っていましたが別れてからの方がとても仲良くなりました。(友達として)

彼の両親にはボロクソ悪い嫁だったと言われていますが(笑)

いいのです。それで。
わたしは彼らに何と言われようが、否定も肯定もしませんから、悪口の連鎖は止まります。
憎しみという矢印は行き場を失えば、時間がやさしく寄り添ってくれる。

そんな時代に知り合った、ひとりの女性の存在が今のわたしを作りました。

そして、未だに余韻が残ってる、夢のようなラジオ共演。

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木更津のシンガーソングライター松本佳奈との出会い

 

わたしが結婚していた19歳の当時、無印良品で働くこととなり、透き通るような女性がそこにはいて。
たぶん、一目惚れ。(百合的な意味ではなく)

それが、現在シンガーソングライターとして活躍中の松本佳奈だった。
彼女も入社タイミングが一緒だった。
きれいで、しなやかで、透き通る雰囲気にすごく憧れていた。

働く前に朝礼でルーチンや役割分担の確認をする度に、わたしは松本佳奈の白い透き通る肌をずっとみていて、朝礼の内容は頭には入っていなかった。

仕事の後に帰り道がたまに一緒になったりして、極度の人見知りだったわたしだったのに、彼女にはなぜか心を開いていて。

綺麗な雰囲気なのに、酒大好きなチャンネェで、話し出すととまらなくて、彼女の恋愛話に、勝手にかなり心配した記憶が。
また、その人間くさいギャップにすごく親近感があって、彼女と出勤がかぶる日は嬉しかった。

けれども、お互いプライベートまではグイグイ踏みこむタイプじゃなかったから、数で数えられる程しか飲んだことがなかったという、仲だった。

彼女曰く、この時期は音楽を続けることを諦めて、無印良品の社員を目指すことも考えていたそう。
なので、「音楽活動をしてます」とはおおやけにはしていなかった。

 

仕事を辞めた後に知った、彼女の音楽活動の苦悩

 

わたしは、無印良品を半年くらいで辞めて、アパレルのお店で半年ほど働き、人見知りがしんどかったので接客業はもう辞めようと思って、去年退職した会社に金融事業の営業事務の本社部門として入社することとなりました。

入社してしばらく経ってから、無印良品の千葉にあったお店が閉店するということで、送別会に誘われて、彼女と再会した。彼女はなんと結婚していた!そして、わたしは離婚していた!(笑)
(が、彼女はパートナーとすこぶるうまくいってるかというと訝しげだったからまた心配になったりして)

元々「ピアノで音楽を少しやっている」とは聞いていたけれど、このくらいの時期から彼女は再び音楽活動を本格的に再開したようで、結婚と音楽活動との両立を目指している姿に「キラキラ」を感じた。

わたしは「やりたいこと」と「結婚生活」の両立ができなかったから、眩しくて、こわかった。
「見たくない」とすら、思っていた。

そう、わたしは彼女の「表面的なキラキラ」な部分しか見ようとしていなかったから。

音楽活動をする大変さも、経済的な面でも、パートナーシップにおいても、彼女は人に見えないところで、折れそうになりながら自分を保ってきた。

 

被害総額500万円の借金完済は、面識のなかった父からのご祝儀で

 

この話は、佳奈さん自身「不幸を身売りしたくない」ということからプロフィールから削除しているけれど、「音楽事務所」の詐欺で、総額500万円の被害を19歳の時に経験している。

彼女はそれから返済に明け暮れ、キャバクラでも働いたことがある。

働いては歌い、
働いては働いて、
諦めかけて、
出会って、
結婚して。

コツコツと返済を何年も続けていたけれど、完済の道のりはとても遠かった。

彼女は幼い頃、両親が離婚していて、お母さんとおばあちゃんとの3人暮らしだったので、お父さんとはほとんど面識がなかった。

そんなお父さんに結婚式の報せをし、彼女の抱えた経済事情をお父さんはその時初めて知ることとなった。
家族として離れていても、子供に対しての愛は消えることはなくて。

その愛の形が、お金としての形に表れた。
お父さんがご祝儀を多めに包んでくれたことで、借金の完済が終わったのだ。

お祝いのお金を返済に充てた彼女の気持ちは、わたしには想像することもできないけれど、彼女に通る一本の芯は、そんな日々の中から生まれた「強さ」だと思う。

強さというのは、時には「努力」と勘違いして邪魔になることもあるし、「迷い」と隣り合わせだから、できれば「粘らなくても好きだから勝手に粘ってて結果として強くなった」という状況が1番理想。

ただひとつ言えるのは、「正しいのか」、「間違っているのか」という2択の問いは、挑戦して、継続している人だけが「強さ」と「自信」に変えられるアイテムなのだと思う。

けれど、わたしは「挑戦しない」ことが悪だとも思わない。
同じところに留まり続けられる人は、「それもひとつの力」だと思うから。

わたしはとどまり続けるのがたまたま合わない人間だったから、今の道を選択しただけ。

 

「変化」はコンプレックスではなく、「結果」でしかなかった。

 

変化は時に、激痛を伴うこともある。
やわらかくて、あたたかいときもある。

そもそも変化なんて、気づかないうちに手に入れてるものだから「気づく」ことが大事なことだと思っていて。

「変化=自分の外側」にフォーカスするというよりは、何を吸収して、何を受け止めて、「自分」はどうしたいのか、に重点を置いていると「ありゃ、またまた変化してるなぁ」という、ただの「結果」という名前でしかない。

そんな「変化」という名前を、「人に流される」という、悪い方のコンプレックスとして長年捉えてきたわたしだけれど、今は「結果として」変化という成長を受け止める自分の器を持てた。

変化にこだわりすぎるのは、苦しい。
そのままの自分を「受け入れられてない証拠」として突きつけられるようなもの。

種から芽が育ち、木になって、実りになるように、ひとつひとつの成長として「変化」を捉えていきたい。
肥料が欲しいと「気づいたなら」肥料が欲しいと口に出してみる。

変化したいから、美しくなりたいから、という目標ばかりを追いすぎないで、目の前の心の声に従ってみる。
わたしはこれが生きていく上で、「成長という変化」にできる近道なのではないかと思ってる。

何かが怖くてチャレンジ(変化)できないというのは、「変化を受け入れた自分」という体験を、「気付いてこなかったから」なんだと、今までのわたしを振り返ってみてそう感じた。

雪景色から桜になりました、というわかりやすい外側の変化の話ばかりを追い求めるのではなく、「こんな本音があったんだ」という「俯瞰」することで、勝手に行動はアクションを始める。

わたしと佳奈さんはたまたま痛みを乗り越えて、「あるべき姿の自分」に戻ったけれど、正直10代から離婚までのしんどさは、二度とやってきてほしくないとも思う。

そして、その後の佳奈さんの話ですが、いろいろあり、離婚の道を辿ります。
ここで、わたしは彼女とは親近感を更に勝手に感じていました。笑

 

久しぶりの再会に、素敵な女性の影がもうひとり。

 

佳奈さんのライブにはちょくちょく足を運んでいたけれど、ゆっくり会って話す機会があんまりなかったので、ご飯でも食べようということになり、3月某日、会うことになった。

そこには、みどりさんという女性の存在もあった。
みどりさんとは、SNSで運命的な出会いで繋がれて、ネットからリアルに飛び出したのがこの日。

高校の同級生であった佳奈さんとみどりさんは、佳奈さんがFacebookで「いいね!」した記事がわたしの新潟移住の話で。

その記事がみどりさんのタイムラインにたまたまあがり、共感してメッセージを下さり、友達になって。
みどりさんも、旦那さんと長野移住をするタイミングとほぼ同時だったということもあり、わたしの言葉のひとつひとつが、みどりさんのこころに、真っ直ぐに届けられた。

みどりさん曰く、「いきなり知らない人にメッセージするようなことはほとんどない!」と言っていて、「不思議なご縁もあるのだなぁ〜」という、運命的な匂いを勝手に感じてた。
そして、3人のスケジュールが合ったというのも、運命的なものを感じずにはいられない。

みどりさんは、おしゃれで、ふんわりしていて、やさしくて、しなやかな強さがある女性だということが少し話しただけでわかった。

3人で話せば話すほど、ネタのような恋愛話に盛り上がり、みどりさんは初対面だったけれど何でも話せて、自分の価値観と合う人との濃い話ができるというのは、「居心地の良さ」ってこういうことなんだなぁ、と感じずにはいられなかった。

このとき、自分が発信というツールを使ったことによって、「本当に自分に必要な人」と繋がることができる素晴らしい時代に生まれ落ちたんだな、と思った。

笑いあり、笑いありの、ほとんど笑いしかない話の傍、移住の話や「生き方」の話をした。

 

普通」を知っているわたしたちだからこそ、「恐怖」を武器へ。

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佳奈さんは東京暮らしから、生まれ育った木更津に戻り、シンガーソングライターとしても活動し、イベント企画の主催者として、地域を活かし、コミニティーを作っていきたいという。
キャンドルナイトやアート作品、ミュージシャンを集め、地元の食とのコラボなど、挑戦をし続けている姿に尊敬せずにはいられないし、どんどん彼女の良いところを吸収していきたい。
そして、新潟に連れて行きたいと思っている。彼女の良さを新潟の人にも伝えたい。

みどりさんも5月に、東京から長野県の諏訪に旦那さんと移住することとなり、染物などをやっていきたいという。旦那さんも音楽活動をしていて、話を聞いているととっても面白い方で、お会いしたいなぁと思う素敵なご夫婦。みどりさんも同様、今年新潟に連れてくる予定。

わたしたち3人は「普通」を知っている。
知っているというよりは、「普通」を共有できると表現した方が良いのかもしれない。

わたしと佳奈さんは音楽活動をやっていくけれど、「アーティスト」って、天才肌の人がいたり、ズバ抜けて何かが飛び抜けていたり、「普通」という感覚がなくて、世の中に認められる人もいる。

けれど、わたしたちは「普通」の女性であり、人の目を気にすることなんてしょっちゅうあるし、恋愛でいちいち悩んだりするし、働き方、生き方について、もがいてもがいて、泥臭くてかっこ悪くても、自分の気持ちに素直になることを大事にして、「自分の生き方」を創っていきたいと思っている。

気分ルンルンで何かを成し遂げられる人ももしかしたらいるかもしれないけれど、わたしは臆病なので、恐怖を抱えながらも、「こわいけど、やってみます」を武器にしたいと思っています。

 

「キラキラ女子」より、「泥臭い女子」でいい。

 

最近「キラキラ」しているね、なんて言われることがあるけれど、わたしは生々しくて泥臭い姿を見せていきたいと思っている。 「キラキラ」とは少し感覚が違うかもしれない。
(褒めてくださることはありがたいですし、もちろんうれしいです。)

挑戦すればするほど、葛藤と悩みは尽きないし、不安だったり、反省したりすることも多い。

よくSNSで「わたし、しあわせです」という投稿を見かけるけれど、しあわせの裏側には、悩んだり、葛藤したり、人に見せたくない部分が必ず存在する。
わたしはそれこそ「美しいなぁ」と思う。人の醍醐味というか。

「キラキラ」という輝きは、目立つけれど、目立てば目立つほど、「この人、わたしと違うからこんなに輝いてるんだ」なんて思わせたくない。

あなたとわたしは同じ人間であり、もがいてあがいて、膝小僧が傷だらけでも、行く先に「おもしろさ」があるならば、絆創膏を貼って、歩んでいきたいと思っている。

そこに「生き方のヒント」を誰かに提供できるんじゃないかって。

泥んこの姿を受け入れて、楽しんでみる。
生きることを遊んでみる。
それが、今のわたしにできること。
発展途上をありのままで伝えること。

彼女の強さと泥臭さを存分に感じたところで、わたしはただただ痺れるだけ痺れて行動に移していなかった自分の弱さから目をそらすのをやめて、受け入れることにした。

裏も表も自分で、強さと弱さは両方あってわたし。
どちらか一面だけを受け入れていたら、違和感がつきまとい、生き方が彷徨う。

歌うことが好きで、自分1人だけで自己満足していたけれど、新潟移住を機に自己満足からやっと、人前で歌う、ということをしていきたいと思えた。

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また、佳奈さんが「魔法のてのひら」のアルバムをリリースします。
CDを作るというのは、今の時代、費用をそんなにかけなくても「できる」けれども、アートワークや、スタジオ収録など、お金の使い方で「できあがる」ものが違って来る。

そんな「できあがり」の違いにこだわりたかった彼女は、クラウドファンディングで資金を募ることにしました。
ご支援くださる方は、下記のURLからご支援頂けましたら幸いです。
(3/31 23:59まで)

「魔法のてのひら」制作プロジェクトクラウドブァンディング

佳奈さん、みどりさんとは今後も何かの企画をやろうと思っているので、少しずつ形にしていく作業を移住の暮らしとともに実験していこうと思います。
どうぞ、よろしくお願いします。

本当の自分を出した先に「わたしを好きだといってくれる人たち」とやっと向かい合うことができた。

 

 

「自分の考え」を誰かに伝えるなんて怖くて怖くて怖くて怖くてたまらなかった。

自分の考えや思ってることを文字として書き起こしたら、他人にどう受け取られるんだろう?

という妄想は、ネガティブな方へしか考えられなかった。

 

「この人だいじょうぶ?」

「この人何アピール?」

「自分好きだねえ」

「かわいくもないのに、写真なんか載せちゃって」

「自分の文章に酔ってるのかな」

 

こうして文字として書き起こすと、卑屈以外の何物でもないですね(笑)

それでいて、人からどう思われるかを異常なくらい気にしている。

裏を返せばこの妄想たちは、わたしが誰かにそう思ってるってこと。

ゾッとする。わたしは人に対してそう思ってたんだって。

腹黒さを隠すために、自分に刃を向ける言葉たち。

 

文章を書いては消し、頭の中で文章を考えては、一人の世界だけで終わらせる。

心では「誰かに伝えたい!」と訴えているのに、

頭では「変な人だと思われるからやめておこう。」

 

と、何度となく繰り返して。

頭と心での会話は、ケンカばかりな日々。

心(本音)より、頭(意志)でねじ伏せる。ブレーキとアクセルを同時に踏み続ける。わたしの24年間は「進むのか止まるのか、どっちやねん!」状態だったと思います。

 

本音で生きてしまったら、どうなる?

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心(本音)で思ってることと、頭(意志)で考えてることが違うのに、他人を気にするわたしは本音で生きることより、頭で考えて動くことが多くなっていました。

無駄に知識だけは有り余っちゃって。知識で、自分が大きくなった気になったりして。

あぁ、動けない。そんな自分に嫌気がさす。そんな日々すら普通になる。

人のエネルギーって「心=本音」を燃料として使うからこそ、素晴らしいパフォーマンスが発揮できるのだけれど、「意志=努力、根性」が、自分のエネルギー源だと勘違いしてしまう。

本音は際限ないエネルギー源。自然と湧き上がるものだから、尽きることがない。

わたしたち人間はこの本音の尽きることのないエネルギーを燃やし尽くすことが、本来あるべき姿なんじゃないかって思う。

けれども努力と根性に頼ってしまうのは、「周りの評価」が努力と根性を美徳としていることに、安心感があるから。

そして、心のままに生きることなんて、一部の人間しか成し得ないことだと思ってしまうから。

自分の人生自分だけがコントロールできるものなのに、人生の舵を動かす当事者意識が足りなくなっていく。

意志ベースで何かを能動的に行うことが多くなることで、自分軸ではなく、他人軸での行動になってしまうことすら疑問を感じなくなってしまうなんて、やっぱりわたしはいやだって思って。

わたしはわたしのまんまで、心のままに生きたいとやっと素直になれたから、新潟行きの切符をもらえました。これが片道切符なのか、往復切符なのか未だにわからないけれども、この切符を受け取ることすら卑屈ヤローほんまさゆりは迷っていました。

それが、新潟テレビの取材を申し込まれたときで。

テレビに映るなんてチキンなわたしにはとっても高いハードルでした。

 

肩書きも何にもない、まっさらなわたしだからこそ伝えたい。

 

写真すら撮られるのが、ほんとうにほんとうに苦手でして。

高校生になってから写真には、ほとんど映らなくなっていたほど。

何かを撮るのは好きだったんですけれど。

 

そんな自信のないわたしに訪れた突然のテレビ取材。

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当時は移住をする気もなかったし、4年間勤めた会社の退職とほぼ同時だったこともあり、「無職でテレビに映るのってどうなのよ?」って思ってました(笑)

ましてや、わたしは自分が好きになれなかったから、テレビに映るなんて堪えられなさそうだ!断るべきだ!って思っていたはずなのに。頭ではそう考えているのに。

心はなぜだかワクワクしていて、もやもや。

また、アクセルとブレーキか、と。

ただ今回のブレーキは、頭だったので、心に従ったらどうなってしまうんだろう?という実験をしてみるいい機会なんじゃないかって思ったのです。

そして、取材をお受けするにあたって、自分が持ってる武器なんかなかったこともあったので、背伸びもできませんので、プライドもこれを機会にちょっと捨ててしまおうって。

「無職で、これから生きるべき道をどうしよう?って迷ってるわたしだからこそ、テレビで伝えられるのでは?」という結論に至りました。

 

褒められたら「ありがとうございます!」という言葉にすら違和感を感じる自信のなさに、飽きていた。

 

テレビの取材を受けた際に、昔の写真を使いたいので探してくださいと言われたとき、かなり困っていました。

わたしには10代が辛く、苦しく、生きづらくてたまらなかった時代で写真があまりなくて。

冒頭からもわかるように、わたしはただの卑屈ヤローでしかなかったので、「かわいいね!」って言われても、「あ、社交辞令ありがとうございます・・・」と、よく思っていました。

人から褒められたら返すテンプレート。

「ありがとうございます!って受け取っておきましょう。素直に受け取ったほうが好感触だから!」

と、ありとあらゆる人が言い、実際にその理屈だってわかってはいて。

ものすごく道理だって、わかってはいて。

 

だから一応「ありがとうございます!」とは言っていたけれど、内心はその人がほんとうに思ってるかなんてわからないじゃないかと、常に疑う心がありまして。

自分に自信がないって、それくらい人からの言葉のプレゼントを素直に受け取れない。

まっすぐストレートの球をストライクめがけて投げてくるのに、わたしはバッターボックスにすら立てない。

 

そこで、一度目の取材を終えた後、移住と働き方について改めて方向性について悩みました。

こんな状態で東京に転職して幸せかなあ、と。

そもそもが「移住をしたい」というより、好きなことをする環境があって、得意なことを活かせる場所で、好きな人たちに囲まれて、焦らないで暮らしていく生活をしていきたいと思っていて。

まず根本的な問題であった「自信がない」ことで自分を保ってきたメリットを洗い出してみたんです。

「自信がない」と言っておけば、「わかる」っていう共感と、「この人は謙虚だ」っていう傲慢な感じにならないことと、自信がある人より波風立たないというなんとも泥臭いメリットが。

一体誰に対して?

それらが「自信がない」を捨て切れない理由だったんだなぁと、なんともくだらないことに振り回されていたんだと笑えてきました。

誰に対してなのかわからないメリットを感じるくらいなら、過去のわたしを知らない土地に足を運んでみるのもいいのかもしれない、なんて思ったことも移住のきっかけでした。

 

 

自分を大きく見せずに「伝えたい」に素直になって、やっと「好きだと言ってくれる人」に向き合えるようになった。

 

様々な葛藤に終止符を打って、移住を決めて。

そうしたら、一体誰に向けてなのかわからない「人へ知られることの恐怖」もだいぶ消えてきて。

 

移住の経緯をSNSで記すことにして。

「同じような人がいるんだと嬉しくなりました」とメッセージがいただけて、今週ゴハンを行くことになったり。

(佳奈さんの友達であるみどりさーん)

 

新潟でテレビが放映されて応援メッセージを多数いただけたのと、友達になりたい!という声をいただけたり。

(新潟県の皆様)

 

新潟の人に会いに行くツアーで繋がった皆さんと一度きりのご縁ではなく、二度目があったり。

(雪花火ではみどりちゃん、作品撮影にきていただける田中さんご夫婦。

そして、さやさん、あや先生、とももう一度絶対。

鴨志田農園にもいきたい・・・。もっと皆さんにまたあいたい。)

 

音楽をやっている素敵な方たちと繋がれる場にいって「こうしていきたいんです」って自分を肥大化せずに、お伝えしたら「おもしろい!」って言ってくださって、これからクリエイティブ面でも一緒に活動できる方たちとつながったり。

(吉岡さん、夢美さん、嶋さん、リーダーミーティングにいた皆様)

 

ブログをはじめたことで、

わたしのもやもやを整理できて、誰かのもやもやの整理にもつながるなんて、しあわせです。

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自分を惜しみなくさらけ出すことは、冒頭の卑屈な妄想で思ってることなんかひとつも起きてなくって、むしろたくさん応援してださる方が増えて。

 

ただ、昔の友達や同級生からはもしかしたら煙たがれてるのかもしれない・・・なんてまだ卑屈な気持ちはあるけれど、ようやくわたしを「いいね!」といってくれる方たちに、向き合える自信がつきました。

 

嫌われることに怯えるより、目の前の好いてくれる方たちに向き合える日がきて、自分が自分であればあるほど、喜んでくれる人がいるんだと驚く日々です。

 

なので、今後もさらにとうしんだいな自分で発信を続けて、関東で悩んだわたしだからこそ、これから移住を考える方たちや、ライフスタイルに向き合っているひとたちに繋げられたらいいなと思います。

今は移住に向けての引越し準備など、自分の活動に向けてもいろいろな準備を初めております。

 

勇気をだして飛び込んでみたら、手を差し伸べてくれる方々はたくさんいるんだな、とありがたさにふける今日でした。

他人の評価の潤いは一時だけれど、自分で自分を潤わせることは一生もの。

 

結婚して、子供がいて、お家を建てて。

はたから見たら「この人は何もかもをもっている」なんて思う人がいるのかもしれない。

かくいうわたしも、去年までは人のことが羨ましくてどうしようもなかった。

特に、素敵な活動をされてる方を見たときの劣等感はすごかった。
わたしもこうなりたいのに、目立つのこわいし、わたしには才能なんてないし、と。

自分の情けなさを見せないために、忙しいフリだけは得意になっていく。
がんばるフリも女優並み。

どうしようもなくて、嫉妬とする対象の人を遠ざけたり、応援するふりしたり、こそばゆいことだらけに支配されるようになって。
自分に自信ないのに、劣等感の表現だけは自信がつきました(笑)

それくらい自己嫌悪マニアだったし、劣等感マニアだった。

今でもたまに、劣等感はちらついてしまったりします。

けれど、わたしはわたしでしかないという、当たり前の事実に向き合えるようになって、人に認められることだけが幸せなんて、そんなの悲しすぎるのではないかと、ようやく他人の評価で、自分の心のコップの水を満たす作業をやめました。
他人におんぶに抱っこしてもらわなくても、二本の足はわたしでコントロールできる。

そんなわたしが二本の足の運び先である新潟に行く前に、一度会いましょうということで、4年間働いた会社で出会った、辞めてからも何かとお世話になりっぱなしなS姐と、O氏と、3年ぶりに会うチャンカワとゴハンにいってきました。

 

母としての美しさは、手からにじみ出る。

 

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写真の文字ですが「ちゃんかわママになったってよ」の方が正しかった。。。

3年ぶりのちゃんかわとの再会には、あかりちゃんという女の子の1人の母親としてパワーアップしていて、あかりんを見る目が愛で溢れていて。

 

ごはんを食べさせる手。
飲み物を飲ませる手。
あやしてあげる手。
髪をかきわける手。
おしりをポンポンする手。
抱っこする手。

 

あぁ、母親ってきれいだなぁって、思わず見惚れてしまいました。

 

惚れてまうやろー、と本物のチャンカワイが言いそうなセリフをちゃんかわに言いたくなってしまったのは、内緒。
いろんな葛藤がありつつも、ひとつずついろんなことに向き合っているちゃんかわ、会えてよかった。

 

結婚してたっていろいろあるし、子育てしてたってやりたい仕事あるし、それがそもそも「普通」であり、素敵なこと。

他人の目立つ良い部分と、自分の悪い部分を何かと比較することが癖になってしまうことで、自分に自信をなくしてしまったりするけれど、裏にどんな事情があるかなんて、誰のものさしでも測れはしなくいのに、比較の意味なんてないなあ、と思っていたのでした。

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葛藤後の美談だけに、目をくらますような人にはならないでね、あかりん。

葛藤も小さな小さな素敵な種だから。

などど、お節介なことを思うわたしでした。

 

「場所」で集まるより、「人」に集まりたい自分の性格

 

わたしは友達と会うとき、だいたい一対一がほとんどで、あまり女子3人以上でゴハンにいくことって、振り返るとあんまりなくて。
それは、女子が4人以上集まると濃い話がしづらいことが起因している気がします。

 

4人テーブルに座った時に、誰かが話しすぎたり、誰かが話さなすぎたりする時って、

「会話のキャッチボール平均運動開始!」

っていう脳内指令が始まって、気づくと「話を滑らせること」に意識して、肝心の会話の中身にはなかなか集中できないわたしがいます。

 

これ、疲れちゃうんですよね。

 

それなのに、めちゃめちゃ喋る女の子がいると、「早く終わらないかな〜早く帰りたいな〜」って飽きてしまう自分がいたり。
なんだろう、わたしは淡白なのかな。面倒くさがりなのだろう。
根本がネガティヴなので、いろんな異質なエネルギーが混じってる集まりに苦手意識を感じてしまうんです。

 

なので必然的に2人で会うか、多くて3人で会うことが多くなり、「人」に集まるというより「場所」で集まる人と濃い関係が築きづらいのがわたしの特徴となりました。

 

これにはいい面と悪い面の両方ありますので、この特徴はもう少し柔らかく形を変えていけたらいいなぁ、と思います。

こんなちょっと面倒な性格ではありますが、今回の女子4人談義は、そういう煩わしさがなくて、居心地がいいんですよね。
だから結局のところ、集まる人の質が良ければ(わたしの勝手な質への評価ですが)女子会は好きなんだなぁ、と思いました。

 

命を惜しみなく使い尽くす人間でありたい

 

その後はO氏とふたりで、池袋にいきました。

今年のやりたいことリストのひとつである「演劇を見る」を叶えてくれたドラえもんがこのO氏。
新潟行きのお祝いということで、連れて行っていただきました。

このO氏については、「ありがとう」という一言では伝えきれないほど、わたしにとっては会社員時代の大恩人でして。

この方の素晴らしさをめちゃくちゃ書きたいのですが、本人からはブログ紹介NGが出たので、観劇のお話。

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舞台、逆鱗。
メインキャストは瑛太さん、阿部サダヲさん、松たか子さん、井上真央さん。
他にも紹介しきれないくらい豪華な方たちが勢ぞろい。

舞台が始まった瞬間の空気。薄暗い水色の照明。
水の匂いなんて知らないけれども、水の匂いがしそうな幻想的な空間に、人魚として登場した松たか子さんが発する一音一音に、惹きつけられていく。

会場内に透き通る声には「命を使う」とはこういうことなんだと、一瞬で感じました。

ただただ綺麗。
同じ人間として、ただただ素晴らしい。
俳優さんたちの力強い演技、そして言葉を伝える「声」。

序盤は笑いありのお話だったのに、最終的には時間系列がわたしには理解できないくらい、複雑な作り込みがあるお話で。

 

瑛太さんへの最後の結末とともに、湧き上がる観客席からの強い強い拍手が鳴り響く。

この拍手の音が、俳優さんたちの日頃の鍛錬の努力と、命を使い尽くした演技と、観客席と一体化し、感動というエネルギーになって爆発していました。

 

拍手って、「人への敬意」を表現するとても素晴らしい手段だなぁと、改めて感じました。
手が生まれつき2つともついててよかったなぁ、としみじみ(笑)
ありがたいとは、まさにこういうこと。

 

俳優さんたちのこの爆発的なエネルギーを感じて、わたし自身も「命を使い尽くす人間」でありたいなぁと、嫉妬とは別物の、純粋な憧れが生まれました。

他所の人の小言につまづいている場合じゃない。

「ほんまさゆり」を出し切りたい、そう、思いました。

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人からの評価の潤いは一時。心のコップが乾いたなら自分で自分を潤わせること。

 

この素晴らしい瞬間に感動を体験し、それを生き方にプラスにできる心をもってることが、今のわたしには「やり方という技術」より立派な財産だと、自分への価値を肯定できるようになりました。

わたしには、今手に持ってるものなんて何もなく。
肩書きもなければ、地位も名誉もない。
背伸びできる技術もない。

ただ、「ほんま さゆり」という名前があって、五体満足で呼吸をしている。

好きなことと、好きな人、友達の多さで人に優劣をつけたがる人がいるけれど、「好きだと思ってる」「友達だと思ってる」というのに証明する手段なんてなくて、それはやっぱり自分ありきの頭の中の「想い」であって、手に持っているものでもない。

 

だけれど、生きてる限り心はあるし、体もある。想いもある。

上下優劣をつけることを、手放せば手放すほど楽になっていく。

 

好きなことと、やりたいことがたくさんある人が上だとか、人に流されちゃうからわたしはダメなやつとか、それはいつ、誰が決めたのかと問いたい。わたしに。

 

「やり方」を追いかけた身としては、「在り方」だけで、こんなにも生き生きできる自分になるなんて思いもしなかったので、頑張ることに疲れちゃった人は、「時間を感じる=今」を、仕事を休んででも心のままに感じて欲しい。

頭で考えてたら、いつまでも心は置き去りのまんま。

何を無責任なこと言ってるんだ、と怒られてしまうかもしれないけれど、どんなに生き急いでも、素晴らしい未来が待っていたとしても、大事なのはやっぱり「今」で、そばにいる人たちで。

そんな「今」をとても感じれるのが、自然や山や海たちと触れ合ったりすること。

頭を使わずに、心をよく感じれます。
しんしんと降る雪に、水のせせらぎに、評価なんてつけないのと同じで。

 

自分を好きになることが、心のコップに水を注ぐこと。
人からいただく評価という水は一時は潤っても、いつかは乾いてしまうから、「もっと、もっと」と欲しくなる。

成果が価値だと信じたり、誰かに数字が勝ってないと、自分を嫌いになってしまうなんて、そんなの生きづらくってらしょうがない。

目に見えるもののすべて、自分というフィルターを通して見る世界だから、自分の土台ができていないと、見える世界も歪み続けてしまう。

そのしくみを逆転させることは、自分と向き合う作業。
心を整える時間があると目に見える景色は確実に変わります。

そんな、ちょっと前まで劣等感マニアなわたしが言うから、少しだけ信じてみてほしいです。
今までの劣等感から向き合った自分の内側に潜る行為が、言葉として、人に伝えられることができる今が、なんとも不思議な幸せです。
苦しかった昔の点が、未来に希望を託したように、今わたしをやさしく包んでいる。

とうしんだい、バンザイな素敵な日でした。

 

 

肩書きは「もらうもの」ではなく、「自分で作る」ことを当たり前に。

3月4日、千葉県鎌ヶ谷にてお昼から始まった講義。

 

「好きを仕事にするためのセルフブランディング術」

 

講義者はそう、かさこさん。
知る人ぞ知るというよりは、だいたいみんな知っているかさこさん。

 

カサゴ?

 

いえ、魚ではなく、かさこさん。

 

 

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先日、41歳の誕生日を迎えたかさこさんは、現在カメライターという肩書きを持ち、旅先での写真撮影、ライティングを仕事にし、「好きを仕事にする」ことを自らが立証されており、仕事だけではなく、奥さんやお子さんとの時間も大切にしてらっしゃる姿には最早学ぶことだらけで吸収が追いつかない。

この時ばかりは、「わたしはスポンジになりたい」という文節が浮かんだ。

 

「好きなことなんか仕事にできるわけがない」を「信じきれなかった」ことから始まる

 

今でこそ「説得力100%」の言葉を自由自在に操っているかさこさんも陰りがあった。

 

就職氷河期時代に就職をすることとなったかさこさんは、「現実は甘くない」という大人たちの常套文句に首を縦に振るしかなかったような出来事として、内定がサラ金一社のみという結果だったそう。

そうしてサラ金としての融資マンを経験していくうちに、「好きなことなんか仕事にできるわけがない」という芽がグングン育つが、その花は幸いにも咲くことはなかった。

 

「でもやっぱり好きなことをしたい」という影がいたから。

 

いや、光だったのかもしれない。

 

そんな光なのか影なのか信じることができないもどかしさを抱えつつ、旅と写真が好きだったかさこさんは「好きなことをブログで毎日発信し続ける」を16年間やり続けた。

 

ブログ更新を毎日し続けたことで、「何を好きで」「何をやってる人で」「何が得意なのか」がブログを通して誰にでもわかるようになり、「かさこさんの好きなことに価値」を見出した企業から、ブログを通して仕事の依頼が来るようになった。

 

その後、本を出版したり、原発をテーマにした映画監督をしたり、サラ金時代には考えられないようなお仕事をするまでに。

 

また、去年の年収は2300万程で、「仕事をやりすぎてしまった。もっと自分の時間を大事にしたい」とかっこいいことを言っている。

 

そう、それはお金に執着しすぎてない証拠。

 

お金に執着していないことが、パフォーマンスを生み、「お金に振り回されない、本心からくる実直さ」を大切にでき、それがかさこさんの最大の魅力なのではないかと思う。

 

「質より量」と「量より質」論争を見直すきっかけ

 

かさこさんは「ブログを毎日更新する」ということに対して自信を持ってこう豪語する。

 

「100%の記事を週に1回より、60%の記事を毎日の方が、”毎日更新しているならたまにチェックしよう”というファンが増やせる」というのだ。

 

痛い…。

 

ほっぺたをつねられたような言葉だった。

 

わたしは100%の記事をゆっくりでも出したいという想いが強く、毎日更新する方がいいとわかっていながら「質のいい記事を書くため」と言い訳していることに気づいた。

 

ただ、この論争は「毎日更新」が自分の中で「負担」になってしまったら、別物になっていく気がするので、量より質の観念から、質より量に「少しずつ」でもシフトしていくやり方でいきたいなあ、と思う。

 

「今」を楽しむ過程をおざなりにしていくことは「本末転倒」だから、あくまでも自分なりのやり方で、心の心地よいラインを感じながら、やっていきたい。

 

パラレルキャリアとセルフブランディングで仕事をもらう仕組みを

 

絵を描くことが好き。

 

歌うことが好き。

 

旅行が好き。

 

食べることが好き。

 

誰しもが、何かしら好きなものが「ボヤッ」とある。
その「ボヤッ」がない人はいないと、わたしは思っている。

 

好きなことって、わかりやすいようなカッチリしたようなものが、「好きなこと」というカテゴライズにされがちだけど、「耳かきが気持ちいい」くらいでも「好きなこと」だと思う。

 

かさこさんは「ボヤッ」でも「くだらないこと」でも、突き詰めると、自分だけが楽しむ「趣味」から、「誰かのため」にすることができるのだと、自分の実績や、他人の実績から根拠を述べている。

だけども、いきなり「好きなことだけ」しても「誰かの価値提供」に繋げることに、成果がついてくるかというと難しい面が多々出てくる。

 

そこで、かさこさんがオススメしているのは「パラレルキャリア」。

 

好きな事以外の他の収入源を保ちつつ、「好きなことの割合」を少しずつ増やし、「ブログで発信」も加えるという、自分の考えや行動を少しでも誰かに伝えて、時間をかけてでもセルフブランディングしようよ、ということ。

 

わたしも「地域おこし協力隊」でお給料を頂きつつ、好きな土地への貢献、好きなことのライティング、好きな歌を歌うこと、花を使った作品の販売などをしていくべく、好きなことの割合を圧倒的に増やす準備を整えたところ。

 

自分の性質上、一点集中で何かに取り組むより、好きなことのいくつかの「点」を固めながら「線」にしていくやり方で「好きを仕事に」したいと思っている。

 

その手段がブログであり、地域おこし協力隊であり、移住でありたい。

 

今はこの「点」だらけの状況に少しばかり心細さを感じながらも、「線」になって繋がるということを信じて、日々生きている。

 

「これがやりたい!」に素直になるたびに、自分が自分を好きになれる。

 

ローカルな地方で活動する分、焦らず自分らしくできるというフィールドをわたしは選んだ。

一緒に励まし合う仲間が増えて、気づいたら何人も応援してくれるひとがいて。

住む土地を変えて、自分の考えを発信することで、こんなに自分って変わるんだ、と驚く日々。

その点、東京での「仕事の選び方」にはレールがいくつも敷かれていて、脱線すると悲しいかな、いろんな好奇な目で見られることになる。

 

非正規雇用者は負け犬だとか、正規雇用者は将来安定だから就職活動は絶対だとか、就職したら我慢してでも3年は勤めるだとか、誰が決めたのかわからない「常識」に心がすり減る時がある。

 

その「常識」は、国境を越えた時の「常識が非常識に変わる感覚」のような、取るに足らない感覚だったのかもしれない。

 

わたしは高校を卒業してから脱線したり、レールにハマったりの繰り返しだったけれど、人生の見本のレールにフィットする人はフィットするし、フィットしない人はフィットしないなあ、とようやくそのことを素直に理解することができるようになった。

 

ただ、それだけのことだった。

 

フィットしないものをわたしはなんとかフィットするように空回り続けて、ハムスターのガラガラのように走り続けた。

 

そんな空回り期間もいい意味で経験にできたし、「わたしには見本とされるレールが合わなかっただけ」に素直になることができた。

 

この気持ちに素直になれるかなれないかということが「好きなことを仕事にする」の分かれ道なのではないかなあ、なんて思う。

 

肩書きは「もらうもの」ではなく、「自分で作る」ことを当たり前に。

 

地方には「脱線」が「面白い」と受け入れられる体制が徐々に広がっている。
東京では活躍できなかった人が地方に来ることでキラキラになる人が増えているとわたしは実感している。

 

そして「自分で自分に肩書きをつけた人」はとても芯が通っていて、尊敬できる人が多いことに気づく。

 

十日町じゃなくても、「移住」を手段として「好きを仕事に」する人が増えたらいいなあということを漠然と今は思っている。

 

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写真は勝手に考えたキャッチコピー。

 

「好きを仕事にする人」が十日町に来たら嬉しいなあ、なんて。

 

地域おこし協力隊がこんなこというのも変だけど、最終的には十日町じゃなくていいから「自分に合うものを選び、自分の好きな土地を選ぶ」ということであればなんでも良いなあ、と思う。

 

選ぶということは捨てること。
捨てることは気持ちがいいこと。
不要なものをそぎ落とす手段をひとりでも多くの人が気づけるように。

 

そうなってほしいな。いや、そうするべく勉強しながら人の力も借りていこう。

 

そして自分が「好きを仕事に」なる過程を記していこう。

 

すでに、地域おこし協力隊の仕事は内定を頂いておりますが、あくまでも独立するための準備期間。

最長でも3年だからこそ、その期間でいかに地域に貢献し、人と繋がり、自分自身を確立できるか試したい。

 

またひとつ、自分の想いが「メキッ」と成長する音をかさこさんの講義を通して再確認できた。
きょうという24時間にも、「好き」を1分でも多く感じれるように。

 

「伝える」に必要なことは「人」に寄添う気持ち。

 

丁寧に教えてるつもりでも伝わらないことがある。

丁寧に教わっていても理解できないこともある。

 

わたしは今では後者がとても多いのです。

で、何度も聞くのも失礼なので、わかったふりをしてしまい、何度となく失敗してきました。それでもわかんないことが多くって。わからないことを気づかれちゃうのもなんとなく嫌で。

 

嘯きながら繰り返す「わかりました。(実はわかりません)」は、弱いわたしを守る手段でした。

 

特に、目上の人から話を聞く時は緊張するので、頭が緊張でカチカチで「期待に応えなくちゃ」「聞き逃したら大変なことになる」と思うのです。そうして自分を追い込めば追い込むほど、「わかりませんけど、わかりました」が増えて行く。なんていう、悪循環。

なので、そう思うことが増えるたびに、「わたしならどう伝える?」と考えるようになりました。

「この人、こういう伝え方をすればいいのになあ」と思うことがあれば、「自分の脳ミソの性能があまり良くないんだ」と言い訳することも多かったので、ちょっとずつ「伝える」に向き合うことにしました。なぜなら、何かのせいにするのは、誰も得しないし、何より自分の成長を妨げると気づけたから。

また、数年前まで極度の人見知りだったので、「伝える」「聞く」「コミュニケーション」は連動するものだと思うようになり、「どうせ生きるなら、楽しく人と関わりたい」と思うようになったのも大きいです。

 

わたしなりの「伝える」の向き合い方は、人から受け取る言葉の違和感を一つずつ解いていく過程が必要でした。

 

「若いから大丈夫だよ」に聞き飽きてしまった。

 

一言添えておきます。毒づくつもりはありません。

ですが、会社を辞める時によく言われた言葉が「若いから大丈夫だよ」

この言葉にとても違和感を感じまくっていました。ちっとも嬉しくなかったんです。この言葉のプレゼント。貰いたくないなあ、って思ってしまったんです。

言葉のプレゼントを贈った側に悪意なんてないのです。わたしが踏み出す一歩を応援してくれてるはずなのに。

 

なので、なぜこの言葉は貰っても嬉しくないのか?と考えた時に、ハッ、っと気づきました。

 

「その人の言葉じゃないからだ」と。

 

「世間一般」で言えば、わたしの年齢は若いのか若くないのか、と問われたら、若い方なのかもしれないです。でも”若さ”とは曖昧でよくわからない。

ただなんとなくわかるのは、転職市場の年齢の価値とか、学校卒業後の年齢のカウントとか。20代だから、とか。

「若いから大丈夫」は「世間一般」の言葉であって、その人が「感じている」言葉ではないことが「伝わらない」原因なのだなと、解けた時は数学がひとつ解けたような気がしました。

テレビや、行政に「あなたの年齢はまだまだ人生を変えられる力がありますよ!」と言われているのと同じで、耳からすぐにすり抜けてしまうのです。

 

「慣れるから大丈夫」に、「今」共感はできない。

 

会社を辞めてから「企業に属す働きかた以外にどんなものがあるか?」と、いろいろと調べた結果、システムエンジニアでは、フリーランスで場所を問わずに働いていることを知ったんですね。

なので、エンジニアという未知の世界とはまずどういうものなのか知るために「無料体験プログラミング」という説明会兼体験会に参加することにしました。

説明会では「ほうほう〜面白い分野だなあ」と少し興味を持っていたんですが、いざ体験会を実施したら「Hello world」を表示させよう!という取り組みがあり、C言語?ですとかエンジニア専門用語にものすごくパニックになりPCをずっと睨みつけていました。

「わからないことがあれば遠慮せずに言ってくださいね!」と言われたのですが、

「何がわからないのかそもそもわからない」

と思ってて、長い間PCを睨みつけて何分かたっていて、それでも「わからないポイント」をなんとか見つけなければ!と思っていて、やっと「ポイント」がひねり出せたんです。

 

ここで「初めて」「わからない」と声に出すことができたんです。

「わからない」と言葉を放つには「何がわからない」かを「ポイントとしてわかる」必要があったのです。

それから、講師の方は丁寧に説明はしてくださったんですが、それもイマイチ飲み込めなくて、四苦八苦していたら、

 

「やっていけば慣れるから大丈夫ですよ」と微笑みかけてくださっていて。

 

「・・・わあ〜〜〜〜。やさしい言葉なのにつらあ〜〜〜〜〜。」って思ったんですよね。(笑)

 

なぜなら「慣れ」は未来の話であって、「今」のわたしに寄り添う言葉ではないかったから。

そこに共感はできないなあって思ってしまったんです。たとえその人の経験から基づく事実であっても。説得力の前に、「今」「その人」に対する寄り添う気持ちが土台にないと、「伝える」は成立しないのだなあと。

また、ここでわたしは「伝える」で絡まっている糸が解けた気がしました。

 

「あなたなら大丈夫。」その一言がうれしかった。

 

絡まった糸を解いた後に、見つけた方程式。

「自分自身が感じた言葉」×「今」×「伝えたい人に寄り添う気持ち」=「伝えること」

ということでした。

 

本間オリジナル「伝える」という方程式ができあがりました。

 

なので、これから「伝える」ことがうまくできなかった時は、このうちのどれかが欠けているんだとわかるようになりました。

理解できない相手が悪いんじゃなくて、方程式に必要な材料が足りないだけなんだと。

 

これに気付く前は「伝え方」だけを考えていました。

もちろん「伝え方」には幾千のやり方があり、工夫することはとてもとても大切なことです。

 

この見つけた方程式抜きで「伝える」をすると「伝える側」の人はどんどん苦しくなる気がします。

バシバシ何かの宣伝をやってるのにイマイチ反響がないとか、頑張ってるのに伝わらないとか、自分主体すぎてせっかくの素敵な内容なのに伝わらないとか。

 

そして、会社を辞める前にいただいた言葉で「本間さんなら大丈夫!」って言われたことは今でも、心に強く刻まれています。

それは、その方自身が本間小百合という人物に対して「そう感じて」伝えてくださったから。

 

この言葉のプレゼントをいただいて、わたしも誰かを応援する時は「あなたなら大丈夫」と言える人でありたいな、と思いました。

 

生きていく上で、「伝える」は大事なコミュニケーションです。「伝える」ことで何をどう思っているのか知ってもらえるし、知る側も価値が溜まる。そんなウィンウィンな出来事がもっと増えればいいなと思います。

 

まだまだ、発展途上のわたしですが、この記事が一人でも多くの方に伝わればいいなと思います。