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「幸せ」が目的。「移住」は手段。

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地域おこし協力隊が何を書いてるんだと思うようなタイトルかもしれませんが、これだけは今の所ゆるぎない信念です。

 

街が好き。

人が好き。

仕事が好き。

 

いろんな理由で人は皆、「暮らしていく土地」を選びます。

わたしには、「住む土地を選ぶ」ということにおいては3ヶ月前には「東京都のどの市に住もう?」くらいのレベルで考えていまして、まさか今、関東外に住むなんて道を選ぶとはこれっぽっちも思っていませんでした。

前記事に書いた通り、人生何がやってくるか本当にわからないものですね。

価値観が変わる瞬間や、新たな選択肢が見える瞬間というのは、必ず人に出会い、環境からエネルギーをもらっています。

これまでのわたしは、自分の中で何かが引っかかるときや迷ったときなど、心の中でねっとりじっくり、あーでもない、こーでもないと、尋常じゃない数の脳内会議を開いてきました。

脳内会議では、「選択の先延ばし」「意思で行動を変える」「今ある経験の中から基づく妥当な判断」これらをベースに「決める」ということをして、一歩ずつ歩んできました。

「新しいこと」を取り入れることはなんだか怖くて怖くて。

それが悪いことではないのですが、自分の中での「決める」という言葉はとてもグラグラした存在で、「決断」と呼ぶには清々しくなく、「行動していないのか」と問われればそうでもない、そんなイマイチ、パッとしないものでした。

ですので、「決める」ということに対しての、そこから得られる経験値に気持ち悪さを感じて、拒んでいたような気がします。

 

「決断」ほど清々しくなくても「自分で決めること」に納得したい。

 

今でも「覚悟」だとか「決断」という言葉は、自分には似合わないと思っています。

新潟県十日町に移住すると決めてからは「よくそんな決断をしたね」と言われることがありますが、わたしのなかでは「決断」という言葉よりは、「波がやってきたから波に乗った」というなんとも、他の人には理解しがたい言葉がしっくりきます。

 

たまたま行ったイベントに、

たまたま十日町に住んでるかっこいい人たちがいて、

たまたまテレビで取材されて、

たまたま新潟の川西や十日町の人に会いにいくツアーに連れて行ってもらって、

たまたま十日町が「アートの街で」、

たまたま十日町が「地域おこし協力隊」の受け入れが盛んで、

 

「こんな海があってこんな波でゆらゆらできます。とてもこころが豊かになります」

なんてことを、実現している人たちがいて。ちょっとだけ道標が残されていて。

港にはなぜか船が用意されていて。

その船に乗ったら自分の息を吸って吐くという当たり前の行為に耳を傾けれらそうで、そんなあたりまえとしてきた自分の常識を変えたくて、自分の「決める」という言葉を、腹に落とし込みたくて。

「決める」の最上級なのかもしれないけれど、「勇気なんていらないから楽しいよ。おいでよ。乗ったらあとはもう進むだけだよ。」という謎の(?)声につられたみたいな感じでして。

そんな不思議な体験を感じれるようになったのは、会社を辞めてから自分の余白を知ることができたからなのかもなあ、と今では思います。

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執着を手放して、自分のなかの余白を感じる。

 

意思や行動(=根性、努力)でなんとかすれば、報われる。なんてことを疑うことがなかった、体育会系女子とはわたしのことかもしれなかった。

ふわふわ浮いている「やってみたいこと」が、「今」ではなく、いつまでも「未来」の先に浮上し続けることにものすごくイライラしていて、劣等感で自信なんか全然なくって。

「やるやる詐欺なんて絶対になってたまるか」と思って、「意識高い系」の人たちを蔑むようにみていた。

そこそこ大きい会社の看板で生活には困らないので、土日で何が仕掛けられるか?

と考えては動いて、腑に落ちない日々。

「こうはならないぞ」という反面教師が次第にどんどん膨れ上がり、自分の不完全な部分が悪者だとさえ思うようになり、どんどん自分が嫌いになりました。

ですが、去年の夏頃やっときづきました。

「そんなん全然しあわせじゃないやんけ」と。

未来の目標に執着しすぎるがために、今を粗末に扱うことが染み付いていることに気づき、「本末転倒だ!」とやっと気づけたんです。長期のお休みを会社にもらったことがきっかけで。

むしろ、今と自分を大事にできないのに、しあわせな未来なんてやってこないのだろうなと気づいてからは、仕事を辞め、自分の中の執着をパッと手放すことができました。

目的は「今、この瞬間が、しあわせ」を増やすこと。

働き方やライフスタイルなどはあくまでも手段だよなあと。

肩書きや反面教師で、自分を嫌いになるくらいなら手放してしまった方がわたしには良かったんです。

 

移住という手段が、しあわせを増やすと思った。

 

肩書きは、人にわかりやすく自分という人間を紹介できる。

反面教師は、自分が対象とする事柄より、優位になった気分になれる。

これらがこの言葉の、今までのわたしが得ていたメリットでした。

 

が、

 

十日町では、そんな言葉がどうでも良いくらい距離の近い暖かさがあり、村の流れる空気感が心地よくて、滲み出てくる人柄が心地良い人だらけで、「飾らない人」になりたいなあと思わせてくれる場所でした。

肩書きに固執する必要もないし、人の嫌なこと(今まで反面教師としていたところ)は不完全でも許せるようになりたいなあって思ったのです。

わたしにはたまたま、そういうしがらみを手放すことで「しあわせだなあ。心地いいなあ」と思えることがふえたので、目的に向かって、移住を選んだのだと今、思えます。

また、移住について問われる次の問いが「定住するのか、永住するのか」ということ。

これについてはわたしじゃなくても、十日町に今住んでいる人たちでさえ断定できる答えが出せないことだと思います。

 

人は成長するものだし、

成長に合わせてステージは変わっていくものだし、

ステージが変わったら、フィールドが同じとは限らない。

 

目的という植物に、水をいつまでも与えてくれるフィールドが一生涯同じということは誰にもわからないのです。

 

でも変わらないものは、「しあわせな時を増やす」という人生の目的。

これさえ見失わなければ、「決める」という言葉に込める意味をじんわりと感じることができます。

 

また24歳の小僧ですが、「移住」という手段を決めたことで、自分の中に芯が通ったような清々しいことが増えました。

 

来週は、十日町の雪花火と移住先の物件見学に行ってまいります。

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はじめましてのごあいさつ。

新潟県十日町市に千葉県から移住することに伴いまして、ライフスタイルや様々なことを発信すべくブログを作成しました。

 

タイトルは「TOSHINDAI」です。とうしんだいという意味です。(そのまま)

 

これまでの関東での生活では、見栄を張ったり、素のままの自分を受け入れられないために、ありとあらゆる武装を施したわたしがいました。

なので移住を機に「とうしんだいの自分に戻ろう」がコンセプトです。

わたしの体験や暮らしの発信、生き方は、形にしなければわたしだけの中で完結し、誰にも知られることもなく終わりますが、こうして文章などで形にすることによって、同じように悩む人や、興味を持つきっかけになったりと、誰かの役に立つものにしたいと思っています。

それでは、少し自己紹介をさせていただきます。

 

1991年9月11日生まれ、出身だけ山形県米沢市で、その後はずっと千葉県に住んでおりました、本間 小百合です。

 

 

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東京には吉祥寺、代官山によく出没しておりました。

あだ名は「もんち」とよく呼ばれます。

中学生のときに「もんちに似てるね」と言われてから、もんちっちの人形をプレゼントされ、次第に広がっていきました。

 

千葉県津田沼駅付近(?)にアパートを借りてた頃、「もんちの家は駅から歩いて近いの?」と聞かれたので「徒歩だと20〜30分なので近いです」と答えましたら、「お前の近いという感覚は信用ならん」と言われました。

・・・どうやら近くないみたいですね。

現在24歳ですが、かなり波に飲まれた人生でして、「よく溺れなかったね」といわれます。

期が熟した頃に、その波に飲まれた人生をこのブログで記そうと思いますが、ひとまず、「ほんまさゆり」の簡単な経歴をギュッと絞って記します。

 

24歳まで千葉県在住のただのOLでした。

 

某金融会社の本社に勤務しており、上司が自由人でとても懐が広かったため、出張も多くさせてもらい、沖縄、名古屋、大阪、岡山と一人でたくさん飛びまわらせていただきました。

現場の営業社員や支店長にも顔を覚えてもらい、たくさんの人に可愛がってもらいまして、自由と放置のシーソーゲームのような部署でした。

決まったお給料がもらえ、決まった仕事が与えられる環境にそれなりに満足をしていたものの、「好きなことを仕事にしたいなあ」とずっと思っていたため、「少し我慢さえすればお金が入る」という考えを持ちながら働いていました。

そして都会での「比較」ばかりの生活と、会社での「見栄っ張り」「愛想笑い」の自分に疲れきっていました。

次第に体だけが正直になっていき、勤務中にストレス性の腹痛で救急車に運ばれ、過呼吸で息ができなくなったことにより、「これはわたしの生きたかった人生じゃないな」と思い、2015年12月に約4年間大事にしてきたOLという肩書きを捨て、「好きなことを仕事にするにはどうしたらいいだろう」とやっと本気で向き合うようになりました。

が、そう簡単には選択すべき道が見えてきませんでした。

 

Do(やり方)ではなく Be(あり方)が変わらなければいけないと感じた。

 

これまでの人生、行動力は割とある方でした。なんでも「良い」と思ったらがむしゃらにやる。

「信頼は行動でしか得られない」という武士(?)のような目標を掲げ、行動できない自分は何の価値もないと思い込むようになりました。

それでもがむしゃらに行動しました。

なのに行動しても行動してもうまくいかない。

「頑張り足りない妖怪」とは、とても仲良くなり、なんでもかんでも「頑張りが足りない」と自分を責めてはいじめ、自己嫌悪や劣等感に苛まれる日々。

この日々に決着をつけるべく、読みまくる「自己啓発本」。

これが次第に功を奏し、武田双雲さんの”ポジティブの教科書”でヒットし、新しい考え方の芽が息吹始め、心屋仁乃助さんの著書を何十冊と読み漁り、「今ここにいる自分にマルをつけてみる」という今までの常識から逸脱する「行動ではなく、内面に集中する」ということを心がけました。

ここから様々なワークショップ、セミナー、イベント、講演会で「心のあり方」を勉強しだしました。

 

地方の生活を知り、「都会で暮らす」という大前提に疑問を持つ。

 

そんな中、「全国移住女子サミット」という地方で暮らす女性の「リアルな生活」が聞けるという講演会へ、軽い気持ちで参加しました。

そこには「自立」という言葉を体現したような地方で暮らす素敵な女性の姿を目の当たりにしました。自力だけで生きる「自立」とは違い、人を頼り、助け合い、地域を愛すその姿がとてもとてもかっこよかったのです。

「東京で暮らすことが前提」だった自分に「初めて」疑問を感じた瞬間でした。

また、イベント会場では、テレビ新潟さんも取材に来ており、たまたま記者さんに取材をされたことがきっかけとなり、2016年の1月から新潟県で暮らす様々な方と出会わせていただくことができました。

今まで出会えなかったような人たちと出会ったことにより、新しい考え方、そしてこの先の生き方の選択肢がひょこっと目の前に出現し、地方では「自分で創る仕事」があることを知り、わたしの目にはそれがとても、キラキラで溢れた世界に見えました。

 

「地域おこし協力隊制度」と出会い、企業から属す生き方から外れる決意をする。

 

それでも地方で暮らすにしても生活費を賄うお金が必要で、そのお金をいただくためにはまずは仕事がないと暮らしていけない。

そして、ものづくり、歌うこと、言葉を綴ることが好きなわたしに、地方でどんな貢献ができるのだろうと道を探し始め、「地域おこし協力隊」の制度を知りました。

直感的に「これだ!」と思いました。この制度を使いながら独立を目指し、「小さいやりたいこと」をどんどん叶えていける環境作りができるのではないかという絵が描きだせたのです。

また、新潟県十日町市が「アートの町」と知ったことがきっかけで自分の得意分野を「この土地で活かしていこう」と決意することができました。

その様子を再び、テレビ新潟さんに密着取材され、2月16日にその心境の移り変わりがテレビ放映されました。なんと、記者さんの熱い思いで放送枠10分の特集に仕上げてくださったのです。なんとありがたいことなんでしょうか。

 

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現在は、2016年4月より新潟県十日町市飛渡地区三ケ村の地域おこし協力隊として移住すべく準備中です。

今後は十日町市の暮らし、移住の情報、働き方、人、考え方、尊敬する人へのインタビュー、自分の手で作るものづくり、空間作り、音楽、文章で自分自身を確立し、こちらのブログで発信していきたいと思います。

どうぞおつきあいよろしくお願いします。

 

ほんま さゆり